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2008年2月

誕生日

49回目の誕生日である。1月から始めて、今日までにいくつか構造体を作っておきたいと思っていたが、上手くいかなかった。でも世界の見方・宇宙の見方については、少しずつまとめているのではないかと思う。これをプラットフォームにして、いろんな物語を建てていく、というやり方で間違いないと思う。ケルトの話も、ブルーノやラブジョイの話も、二元論や異端の話も、あるいは日本の未来の話も、建てられるはずだ。先ずはプラットフォームを固めよう。目標1ヵ月!

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Matrixの世界観

映画「Matrix」の世界は、プログラムであるから、因果関係cause-and-effectである。この因果関係を超える要素が、モーフィアスが口癖のようにいう運命destiny、トリニティが体現する愛loveと、ネオが到達した悟りbeliefである。

世界観がベースになっている話は面白い。Matrixもそうだが、トールキンの『指輪物語』は極めて重厚な構造になっている。TVドラマ「Twin Peaks」も二元論の世界観があった。こうした独特の世界観がベースにある話を作りたい。

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世界宗教の矛盾

もともと宗教は、それぞれの部族や民族の自然観・世界観を表すものであった。エジプトのアメン・ラーを中心とする信仰体系、ケルトのドルイド教、ギリシア・ローマの神々、ユダヤのハヤウェ信仰、インドのバラモン教、中国商王朝の太陽信仰や周王朝の礼、そして日本の八百万の神々。こうした共同体的信仰から、個人の救いを求めて生まれたのが、仏教であり、キリスト教であり、イスラム教である。これらは、個人の魂の救済への解を提示できたがゆえに、すぐれて超共同体的なものになり、すなわち世界宗教となった。しかし世界宗教となる過程では、「布教」がその駆動力になる。個人の魂の救済という、まさに個人的な問題であるはずの新しい信仰(仏教、キリスト教、イスラム教)が、超共同体であるがゆえに、すべての個人を取りこもうとする。これが真の善意から出ているものにせよ、組織拡大が自己目的化されたものであるにせよ、対象とする個人の問題は二の次になってしまう。そんな矛盾を抱えながら、世界宗教は発展していった。

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宇宙の秩序

自然界に(宇宙に、と言ってもいいだろう)変化が起こるたびに、宇宙のエントロピーは増えている。つまりわれわれの世界は、エントロピーが増大する方向が、安定への方向なのである。このことは良く知られているし、高校生が「エントロピー」という言葉を覚えると、すぐ口にする表現である。しかし、それでも、宇宙のどこを観測しても秩序だっているという。宇宙が誕生して137億年。137億年経っても、「秩序だっている」と観測されるということは、137億年前の宇宙誕生の瞬間は、きわめて高度な秩序があったのであろう。

マクロ的には、である。ミクロ的には、すでに古代中国でも、賢人たちが無秩序を嘆いている。儒家や法家は、それぞれ違う方法ではあるが、秩序を取り戻そうとする。流れに任せることが一番とした道家(老子、壮子の思想)はエントロピー増大が、もっとも確率が高く、もっとも安定への方向と知っていたのだろうか。

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History of Idea

前々回で、ラブジョイがJournal of the History of Ideaを創刊したことに触れた。ここでのIdeaは、観念とか思想と訳される。もう少し穿って読むと、プラトンのイデアも指しているのかもしれない。『存在の大いなる連鎖』で、ホワイトヘッドからの引用と断りつつ、ヨーロッパの思想史がプラトンの哲学に付けられた膨大な脚注、と言っているくらいである。Ideaはカントもヘーゲルも使っている。それぞれ純粋理性概念、絶対的実在の意味で使われているが。History of Ideaは、イデア(観念的原型)から実在とは何かを思索した歴史、とも解釈できるかもしれない。そこまで行くと深読みしすぎか。

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五分後の世界と5000光年先の世界

村上龍の『五分後の世界』を、娘が読んだという。村上龍は私の好きな作家だが、『五分後の世界』はその中でも好きな作品のひとつだ。ただここではこの作品を論じるつもりはない。5分ずれたところに別の世界があるという着想が、量子力学的な気がした。この本を最初に読んだときは気にしなかったが、パラレルな位相があって、ふとした弾みに、隣の位相へ行ってしまう。そうではない。常に位相を変えているのだけれど、主観的に同じ位相にいると解釈しているのだ。同じ位相にいると解釈するために、不可逆の時間の流れを設定する。

ところで、15日付けの日経新聞に、5000光年の先に、太陽系を小さくしたような恒星・惑星の体系が発見されたとあった。5000光年なんて、広大な宇宙の中では目と鼻の先どころか、ほんの誤差に等しい。ふとした弾みにそちらの世界へ紛れ込んだら、ガリバー旅行記を体験できるかもしれない。

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ホワイトヘッドとラブジョイ

アルフレッド・N・ホワイトヘッドとアーサー・O・ラブジョイは、ほぼ同時代人であり、二人とも長寿であった。ホワイトヘッドは1861年、イギリスに生まれ、63歳まではケンブリッジ大学(~1910年)・ロンドン大学(1911年~1924年)で数学・応用数学を教えていた。1924年にハーバード大学に招かれ、1947年の暮れに亡くなるまで、哲学者として著作を続ける。一方、ラブジョイは、ベルリンに生まれるが、哲学を学ぶのは、カリフォルニア大学とハーバード大学である。しかし彼は教職としてハーバードとは縁がなかった。1901年に同僚の解雇に反対してスタンフォード大学を辞職すると、ハーバードの学長は彼をトラブルメーカーとして採用を拒否したからである。以後、ワシントン大学(セントルイス)、コロンビア大学、ミズーリ大学を経て、ジョンズ・ホプキンス大学に腰を落ち着ける。Journal of the Histrory of Ideaを創刊し、「思想史」という学際的な分野を切り開いたのも、ボルチモアである。彼はこの地で、1962年の暮れ(奇しくも亡くなった日はホワイトヘッドと同じ12月30日)、89歳で亡くなるまで独身のままであった。生後18ヶ月で母親が自殺したということが、影響しているのかもしれない。

このように同時代でありながら、二人に接点はない(ラブジョイが1901年にハーバード大学の教職に就けていたのなら、二人は同僚となったはずである)。しかしラブジョイはその主著『存在の大いなる連鎖』の中で、ホワイトヘッドを引用している。プラトンが20世紀に生きていたら、自然科学の成果(量子力学にほかならない)をその哲学に取り入れるだろうと考えていたホワイトヘッドは、思想史・自然科学哲学史・社会科学哲学史を探求していたラブジョイの哲学の捉え方に興味を示しただろう。残念ながらホワイトヘッドがラブジョイを引用したかどうかは、浅学の私には不明である。例の同郷・同輩の哲学者に聞いてみるか。

と、早速メールで問い合わせたら、すぐに返事が来た。やはりホワイトヘッドからの言及はないそうだ。彼によると、もしホワイトヘッドがラブジョイを読んでいたとすると、面白く読んでいただろうが、あまり影響は受けなかったのではないかとのこと。おそらくそうだろう。ホワイトヘッドは、まさにここにある世界を観てとろうとしていたのだから。

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薔薇の名前

ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』みたいな「推理小説」にしたい。その中に、ジョルダーノ、ホワイトヘッド、ラブジョイなどが出てくるような。

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