第六講 異端と正統①
もうひとつの十字軍
東ローマ皇帝の要請を受けたローマ教皇によって、一〇九五年に招集された十字軍は、その四年後、セルジュク・トルコ帝国が支配していたエルサレムを陥落します。しかし、成功らしい成功をおさめた十字軍は、これが最初で最後でした。公式には計八回行われた十字軍は、回を追うごとに宗教色を失い、諸王諸侯の政治的利害や、イタリア諸都市の経済的利害が優先されました。第一回十字軍から一世紀あまり経ったころ、ヨーロッパ内部へ向けて、もうひとつの十字軍が編成されます。
十三世紀初め、フランス南東の都市リヨンに、北フランスの諸侯を主力とした軍が集結しました。この軍は、フランス深南部にあるアルビを中心に広がっていた異端を撲滅するために組織されたことから、アルビジョア十字軍と呼ばれます。十字軍を迎え撃つのは、トゥールーズ伯など南フランスの諸侯、それにスペイン北東部を支配していたアラゴン王でした。
北フランス軍が一二一三年に、トゥールーズから三十キロと離れていないミュレで南仏・スペイン連合軍を破ったときは、この異端討伐戦争は短期間に終結するものと思われました。しかし、十字軍の指導者であったシモン・ド・モンフォールが戦死すると、再び連合軍が勢力をもりかえし、両軍は一進一退を続けます。ちなみに、イギリス議会制の礎を築いたシモン・ド・モンフォールは、このときの十字軍指導者の同名の息子です。一二二六年にフランス王が介入して、ようやく両軍のバランスが崩れました。三年後にフランス南部は平定され、トゥールーズ伯領はフランス王の弟が相続することで、決着がつきました。
この戦乱の結果、北部にしか及んでいなかったフランス王家の支配がフランス全土に広がることになりました。つまり、いちばん得をしたのは、フランス王家だったのす。またアルビジョア十字軍は、南仏の言語や文学を壊滅させるという、文化破壊の役も演じました。
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