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2009年1月

第九講 新しい宇宙観⑮

救いと宗教

  こうしたスピノザの神観は、当然ユダヤ教やキリスト教が受け入れるところではありませんでした。スピノザに一定の理解を示した、かなり進歩的な人々ですら、スピノザが死んだとき、彼の手紙を焼却して彼との交流の跡を絶とうとしたくらいです。ですから『エチカ』も彼の生前には出版されませんでしたし、出版された後も、長らく発禁書とされました。

  しかしスピノザは言います。多くの人々は快楽にふけることができる状態が自由であると思い、神の命じたとおりに生活することを拘束だと考えています。そして生きているあいだ「宗教心」によって拘束に耐えさえすれば、その報酬として死後に自由が得られるという希望を持っています。また、拘束に耐えきれなかった場合は死後に責苦を受けるという恐怖によって、「道徳的」な生活を送っているにすぎません。ところがそうした希望や恐怖を持ち合わせなかったら、人々は官能と退廃と利己心にみちた生活に身をまかせてしまうかもしれません。

  宗教や信仰は、人々をそこまで落としめないという意味においてのみ、有用なのです。しかしできることなら、スピノザの示した、理性そして直観知による神の認識を目指した方が、望ましいでしょう。とくに宗教が生活を規制する力をなくした現代こそ、直観知は、ものごとの本質を見極める心の目になりうるのではないでしょうか。もちろんそれは、多くの人にとって、広き門でもありませんし、たやすい道でもありません。

  スピノザは『エチカ』をこう結んでいます。「私の示した道はきわめて峻険であるように見えるけれども、なお発見されることはできる。また実際、このように稀にしか見つからないものは困難なものであるに違いない。なぜなら、もし幸福がすぐ手近にあって大した労苦なしに見つかるとしたら、それがほとんどのすべての人から閑却されているということがどうしてありえよう。たしかに、すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」。

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第九講 新しい宇宙観⑭

神への愛

  人間には外部から刺激(作用と言ってもいいかもしれません)を受けて、喜びとか悲しみなどさまざまの感情が起ききます。これらの感情を意志の力で抑えようとしても、実は、もとの刺激(作用)を別の刺激(作用)で置き換えているにすぎません。なぜなら、人間の精神は自己原因ではありませんから、精神が意志を持つとき、それは外部の原因、すなわち刺激や作用によって生じたものと考えるほかないからです。つまり、人間は自然の一部なので、自然からの刺激を克服できないのです。ですからスピノザは、感情を抑制しようとする前に、感情の原因を知ることが必要だと考えました。

  感情は、人間が自然から刺激を受けたときに、自分の存在を維持しようとする力によって生じます。たとえば、人に愛されて嬉しくなるのは、愛されることが自分の存在価値を高めるからであり、共生することによってより豊かな人生になるからです。また、人に疎んぜられてその人を憎らしく思うのは、疎んぜられることが自分の存在価値を低くする(と錯覚する)からであり、疎外されることによって生活の選択肢が狭められるからです。しかし、刺激にたいしてこのように反応してしまうのは、自分の存在を個体としてしか考えていないのです。自分という存在を、原因結果の無限の連鎖によって、自然すなわち神に包まれている存在だと捉えることができれば、違った受けとめ方ができるはずです。

  スピノザは、認識には三つの段階があるといいます。最初の段階はイマジネーションです。イマジネーションは、慣習や常識、あるいは自分の経験によって得られた知識です。慣習や常識も、社会全体の「経験」の積み重ねと考えられますから、イマジネーションは経験知と呼べるでしょう。イマジネーションは、経験からの類推や想像であり、確実な認識にはなっていません。

  認識の段階においてイマジネーションの次には理性がきます。理性は、すでに証明された原理から論理的にステップを踏んで答えを得ます。つまり理性は、ものごとの背後にある原理を探し、原因結果の関係をひとつひとつたどっていくのです。ですから感情にとらわれているときには対立しても、理性の働きによってお互いの共通の基盤を探すことができます。たとえ共通の基盤を発見できなくても、探しているあいだ、原因結果の連鎖に思いを馳せているあいだは、対立はないのです。そしてもし共通の基盤が発見できたら、自分の存在を維持することと、他人の存在を、ひいては社会や自然を維持することがひとつのことととして考えることができるでしょう。

  認識の最高の段階を、スピノザは直観知と呼びます。理性は、自然に含まれる存在が、原因結果すなわち必然性の連鎖でつながっていることを理解します。いいかえれば理性は、あらゆる存在が必然性によって、自然すなわち神に依存していることを認識します。つまり理性にできるのは、自分を含む自然全体に共通する普遍的な原理を、頭で理解(知覚)することです。

  直観知による認識は、原理の知覚ではありません。直観知は理性を超えて、個々の存在が神に依存していることを認識します。原理からひとつひとつ筋道を立てて結論を導くのではなく、個々の存在を見ながら、精神の目によって、存在の背後にある神を直に(そして瞬時に)観るのです。それは理性による理解をくぐり抜けた認識です。個々の存在をこのように認識すればするほど、それだけ多く神を認識するのです。

  そして自分も神を原因とする必然性の無限の連鎖の中にあり、無限の必然に連なるがゆえに永遠の存在であることを知ります。神のなかにある永遠の存在として精神を認識したときに、大いなる喜びを得ます。また、個々の存在の背後に神を観るのであるから、もはや自分以外の存在との間に対立など生じるはずがありません。すべての存在と一致し、神のなかにあると感じる喜びこそ、神への知的な愛です。そして神への知的な愛を認識したとき、人間の精神(魂)は本当の救いを得ることができる、とスピノザは考えました。

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第九講 新しい宇宙観⑬

必然性の連鎖

  スピノザの神は自己原因であり、存在するとしか考えられない存在でした。つまり神の存在は必然なのです。しかも神すなわち自然は、存在を創造する能力があります。神にとって能力(できること)とは、行為(すること)にほかなりません。もし、創造する能力がありながら創造しないとすれば、神に創造を思いとどまらせた原因があることになります。これは自己原因であったはずの神の定義と矛盾しています。したがって、創造する能力があるから、選択することなく、存在の可能性のあるものをすべて創造するのです。

  存在の可能性のあるものはすべて創造されます。そこには神の自由な意志が入る余地はありません。しかも神は、(自分という)原因にもとづいて存在を創造し、存在に作用を働きかけます。(自己原因である)神を除けば、ある存在は他の存在に原因があり、その存在もまた別の存在に原因があります。こうして神から始まる存在の無限の連鎖は、原因と結果という必然性によってつながっているのです。

  しかし、神が意志もなく存在を創造したとすれば、すべての存在にはそれが存在する目的などなくなってしまいます。存在はただ存在する原因があったから、その結果として存在しているにすぎなくなります。またすべての存在が、神の自由な意志ではなく、必然性によってのみ生じているのなら、そこにはなんの道徳的尺度もないように見えます。スピノザの主著『エチカ』が倫理を意味する題名を持っているにもかかわらず、背徳の書のように思われたのも、一見伝統的な倫理観を否定しているように解釈されたためでした。

  しかし、スピノザほど倫(みち)の理(ことわり)を理性的に考察した人はいなかったでしょう。

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第九講 新しい宇宙観⑫

無限なる自然、生ける自然

  スピノザの神は、ユダヤ教やキリスト教のような超越者ではありません。超越「者」という擬人的な表現のみではなく、超越した存在と考えることをスピノザは否定します。なぜなら、超越するということは、なにかの外部でなければならないからです。

  中世の宇宙観では、「なにか」とは天球でした。十六世紀後半のブルーノは天球の概念を破壊し、宇宙は無限であると唱えました。そればかりか、宇宙のいたるところが中心であるとも考えました。デカルトも、宇宙は無限という考えは受け入れていましたが、彼は、無限の宇宙を超越する神を認めています。無数の精神や物体で満たされている宇宙とはまったく別の次元で無数の存在を創造し、いまも創造しつづけている超越者を、デカルトは認めたのです。しかし、神が宇宙とは別の次元に存在したとしても、「別の次元」は外部であり、「別の次元」にいる超越者(すなわち神)は宇宙と対峙していることになります。神の創造物である宇宙は、宇宙を創造した存在を想定しなければなりません。つまり、宇宙は神(創造した存在)の概念を必要としています。それと同様に神も、宇宙とは別の次元、と考えたとたんに、神と別次元である宇宙を想定しなければなりません。やはり、神も宇宙の概念を必要とするのです。

  スピノザは、神をただひとつの実体だと定義しました。実体が、その概念を作り上げるのに他の概念を必要としないものであるならば、神は宇宙から超越してはならないのです。超越したとたんに、宇宙の概念を必要とするからです。「自然のうちにはただひとつの実体しかない」という定理は、実体すなわち神が、自然(または宇宙)に内在することを主張しています。そして神と自然が一体化し、超越者と被造物という構造がなくなったときはじめて、自然には外部など存在しなくなります。外部がないから境界もありません。超越者がいなくなったときに、自然(宇宙)は、真の意味で無限になったのです。

  またデカルトにとって、自然は精神と切り離された物体でした。彼は、自然界の運動も機械的にとらえていました。デカルトは、中世の人々が物体の運動を物体に目的があるかのごとく説明していたことを否定し、運動そのものの法則を発見しようとしました。彼にとって、自然はあくまでも物体であり、精神に奉仕するものでした。人間の精神は、機械を分析するように自然の法則を理解し、自然を自分の役に立つように支配していくことができる、とデカルトは考えました。

  一方スピノザの自然は、神と同一存在です。精神と物体を別の実体と考えるがゆえに、人間のなかでふたつの実体がどのように作用しあうのか悩んだデカルトの問題は、スピノザには起こりえなかったのです。なぜなら、精神も物体も、神の属性によって生み出されたものであり、神すなわち自然の一部でしかなかったからです。神と自然が同一であれば、自然は創造する存在であると同時に、創造される存在でもあります。スピノザにとって自然は機械ではなく、生きた実体でした。しかもすべてをその中に包含する存在でした。

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第九講 新しい宇宙観⑪

スピノザの神

  スピノザは『エチカ』の冒頭に、「自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられないもの」という定義を置いています。「自己原因」という難しい用語が出てきますが、「最初の原因をつくった存在」を抽象的に表現したものです。繰り返しになりますが、スピノザは、極力、人間のイマジネーションが働かないように思考するスタイルをとったのです。

  少し説明を加えましょう。ふつうの存在は、外部になんらかの原因があります。他者によって生み出されたとか、動かされたために、そこに存在していたり運動していたりするからです。それにたいし、最初の原因をつくった存在は、とにかく存在しているとしか表現のしようがありません。その存在は、まさに最初から存在したのです。この「存在」は、プラトンの「創造者」やプロティノスの「一者」、あるいはユダヤ教やキリスト教の「神」と同じなのですが、スピノザは「自己原因」と表現し、これをこのように定義したのです。

  別の表現をすれば、スピノザのこの定義は、旧約聖書の中でユダヤの神がモーセに言った「わたしは、有って有る者」という表現から、人格的なイメージを払拭したものです。スピノザも、完全な存在を肯定します。しかしそれは、キリスト教やユダヤ教の人格的な神ではありません。スピノザによれば、人々が人格神を信じているのは、人間のイマジネーションが働いているためであり、論理的な必然性はどこにもないのです。もし三角形が知性を持っていたら、神のイメージは三角形をしていたでしょう。ですから彼は、神から人格をなくし、「完全な存在」を、存在の原因が自己にしかないものと考えました。

  スピノザは神については、「おのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体」と定義している。これも難しいので、解説を加えます。神とはどんなものかと表現しようとすると、全知全能、不変不滅、完全無欠、絶対的な善といった性質を思い浮かべます。つまり神については、永遠や無限を表わすこうした表現を無限に思い浮かべることができるのです。これで、「おのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている」というところまでは分かりました。では、スピノザのいう「実体」とは何でしょうか。

  スピノザは、「実体とは、その概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの」と定義します。しかし「概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの」とは、自己原因にほかなりません。しかも、自己原因は神でしかありえませんから、実体も神だけです。つまり、神と実体と自己原因は同義なのです。

  デカルトは、神、精神、物体を実体と考えました。彼はいったんすべてを疑った後に、人間の精神が存在することを確信しました。つまり神の存在証明の前に、精神の存在を証明したのです。ですから、不完全な存在ではあっても、精神を神とは別の実体と考えました。彼の考え方ですと、不完全な精神や物体にたいして、完全な存在である神が超越して存在することになります。また、神が人間や自然界から超越した存在であることは、ユダヤ教やキリスト教の伝統にも合っていました。

  しかしスピノザは神の定義から始めました。すると実体は、自己原因である神だけになります。では、人間や自然界はどういう位置を与えられるのでしょうか。実は、スピノザが設計し作り上げた世界観は、デカルトのそれとはまったく異なるものになったのです。

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第九講 新しい宇宙観⑩

破門されたユダヤ人

  スピノザの父は熱心なユダヤ教徒でしたが、息子はそうでもなかったようです。スピノザは二十歳を過ぎたころから、ユダヤ教の律法や儀礼をあまり守ろうとしなくなります。かといって、彼がユダヤ教に理解がなかったわけではありません。彼はヘブライ語が堪能でしたし、ラテン語を学んで、キリスト教徒による旧約聖書の注釈書も吸収していました。スピノザにとって、律法や儀礼は形式であり、宗教の理解に役立つものではありませんでした。彼は宗教を、理性で理解しようとしたのです。

  しかしこうしたスピノザの態度は、ユダヤ教会には、宗派に対する反抗と受けとめられました。一六五六年、スピノザが二十四歳のとき、彼はアムステルダムのユダヤ教会から破門されます。破門式は、破門者の魂が永遠に呪われることを宣告され、呪いの宣告を受けているあいだに蝋燭が一本一本消されていき、やがて暗闇になっていくという、非常に恐ろしいものでした。そして破門は、ユダヤ社会からの追放を意味していました。事実、彼は弟や義兄ともうまくいかなくなり、破門後まもなく貿易商としても廃業します。

  しかしスピノザはキリスト教徒の友人に恵まれていました。廃業後の住まいを提供してくれたのも、経済的に支援してくれたのもかれらでした。彼は、生活のほとんどを、生計を立てるためのレンズ磨きと読書にあてて、独自の哲学を発展させます。

  スピノザの哲学は、人間のイマジネーションを徹底的に排除し、純粋な思索のみで神や人間、人間の救済を探求していきます。彼に多大な影響を与えたデカルトも、常識や慣習を徹底的に疑うことで新しい境地を開きましたが、まだキリスト教の神観にとらわれるところがありました。キリスト教社会から疎外されたユダヤ人社会、そのユダヤ人社会から追放されたスピノザだったからこそ、西欧人がとらわれがちな観念から自由になり、これを乗り越えることができたのです。キリスト教社会とユダヤ教社会から二重に疎外されたスピノザには、もはやユダヤ教やキリスト教が思い描く神の姿はなく、人間がイメージする神の「姿」を払拭したところから、救済を考えざるを得なかったともいえます。

  スピノザは主著『エチカ』を、最初から最後まで幾何学の記述形式で著しました。つまり、いくつかの定義と公理を設定し、定理をあげこれを証明していく作業の積み重ねで、自分の思想を表現したのである。たしかに十七世紀の哲学者は、数学的な演繹法を重視しました。それだけでなく、デカルト、パスカル、ライプニッツは哲学者であると同時に数学者でもありました。しかしその著作を数学的な表現で著したのは、後にも先にもスピノザしかいません。彼にとって幾何学的な表現こそが、イマジネーションを斥けるのにもっとも適していたのでしょう。

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第九講 新しい宇宙観⑨

自由の地オランダ

  西洋の哲人のなかできわめて特異な存在であるスピノザは、一六三二年にオランダの首都アムステルダムで生まれました。

  彼の先祖はもともとスペインに住んでいたユダヤ人でした。イベリア半島をイスラム教徒が支配していた時代は、ユダヤ人も平和に生活できていましたが、キリスト教諸国が半島の大半を勢力下に置いた十四世紀末、状況は一変します。ユダヤ人はキリスト教徒による大迫害を受け、多くが殺され、キリスト教に改宗した者だけが生き延びることができました。しかし改宗してもなお、旧ユダヤ教徒は差別され続けました。十五世紀末に、イベリア半島におけるイスラム教国最後の拠点であったグラナダが陥落すると、以前に劣らない迫害が、旧ユダヤ教徒に襲いかかります。改宗してまでも迫害を受ける彼らには、もはやスペイン脱出しか道は残されていませんでした。ポルトガル経由でオランダに逃れてきたユダヤ人の中に、スピノザの祖父の姿がありました。

  現在のオランダとベルギーを合わせた地域はネーデルランドと呼ばれ、当時カトリックであるハプスブルク家(神聖ローマ皇帝)の領土でした。しかし、ハプスブルク家の本拠地オーストリアから遠く離れていることもあって、ネーデルランドは早くから自由を享受していました。とくに北ネーデルランドは、ライン川の河口という、交易には絶好の条件に恵まれ、ヨーロッパ内陸部と大西洋経由の貿易の中継地として大いに栄えました。

  十六世紀中葉にハプスブルク家がオーストリア本家とスペイン王家に分かれると、ネーデルランドはスペイン王領になります。十七世紀初頭、反動的であったスペイン王を嫌って、北部七州は分離独立します。オランダという名称は独立国の代表的な州であったホラント州に由来します。

  オランダはカルバン派の新教徒が多かったために、勤勉な国民性を持っています。国土を干拓によって広げ、牧草地に変えた努力は、他国では見られません。「世界は神によって創造されたが、オランダだけはオランダ人によって造られた」と言われるくらいです。また自由で開放的な風土が、人文主義の雄エラスムスや国際法の父グロチウスを生みました。フランス人デカルトも、生涯の多くをオランダで過ごしました。

  オランダに逃れたユダヤ人は、先祖の宗教であるユダヤ教に戻り、この地で代を重ねます。その多くは商人であり、スピノザの家も貿易商を営んでいました。

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第九講 新しい宇宙観⑧

存在の二面性

  本質と訳される「エッセンス」は、ラテン語で「~である」という意味の「エッセ」が語源です。一方、存在と訳される「エグジステンス」は、ラテン語で「外に立つ」という意味なので、実在という方がより正確な表現でしょう。そしてこのエッセンスとエグシステンスというふたつの語が、西欧の存在に対する考え方をよく説明しています。

  すなわちものの存在は、「~である」という本質と、本質が見た目に現れた姿である実在とに分けられ、実在は、真の姿である本質の外に立つものなのです。たとえば目の前にさまざまな椅子があるとします。黒い椅子もあるでしょうし、赤い椅子もあるでしょう。なかには三人掛けの長い椅子があるかもしれません。これらの椅子は確かに見た目には異なっていますが、「椅子である」と言い表されるものには違いありません。そうであれば、椅子というものを理解するには、見た目に現れる個々の椅子にとらわれるのではなく、その背後にある本質を知らなければならないことになります。

  実在の背後にある本質に、最初に着目したのはソクラテスです。当時の知識人が見た目に現れる個々の例ばかりをあげて議論しているのに対し、ソクラテスは、その背後にあるものをひとことで言い表せるようになることが、物事を本当に知ることである、と唱えました。ソクラテスのいう本質は、プラトンによってイデアと呼ばれました。イデアはギリシア語の「見る」から派生した語です。プラトンによれば、創造者はイデアという理想の設計図を見ながら、素材を用いて実在の存在を製作していくのです。また人間の魂は、もともとイデアの世界に属していたのですが、肉体という実在を与えられ、かえって実在が真の姿だと思うようになってしまっている、とプラトンは考えました。彼によれば、目の前の実在にとらわれず、イデアの世界をひとつひとつ思い出していく過程が、魂のイデアへの回帰でした。

  デカルトは、すべての常識、すべての理論、すべての存在を徹底して疑った末に、疑っている自分の精神だけは確かに存在すると考えました。しかも不完全な存在である自分が、完全な存在である神を想像できます。無から有が生まれるはずがありませんから、神の存在も確かです。また自分に身体がないと想像することもできますから、精神は物体に依存しないと考えました。しかし、神、精神、物体が互いに独立しているデカルトの哲学では、肉体(物体)に閉じこめられた魂(精神)をどのようにして救済するかについて、答えることができなかったのです。デカルトより一世代後に登場したスピノザが、まったく違った存在論を唱えて、この問題にひとつの解答を与えます。

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第九講 新しい宇宙観⑦

我思うゆえに我あり

  一六二八年秋から、デカルトはオランダを本拠地にするようになります。そして彼の真理の探求は、アムステルダムでクライマックスを迎えます。

  彼が真理にたどり着くまでの生活態度を定めた「準則」では、多少疑問に感じることがあっても常識や道徳に従うべきでした。一方、真理にたどり着くための「規則」では、少しでも疑わしいところがあるならば斥けなければなりません(第一の規則)。視覚や聴覚など五感で認識されるような存在も、われわれは錯覚することがしばしばありますから、本当は存在しないかもしれません。数学によって証明されたものは正しいように思われますが、優れた人でも証明を間違える場合もありますので、真理として受け入れるわけにはいきません。そもそも、起きているときに考えることと同じものを、夢の中でも考えたりしますから、心に思い描くものはすべて疑わなければなりません。

  しかしそこまで一切のことを疑ったとき、その疑っている自分は何者かでなければならないことに気が付きます。すべての存在を疑わしいとして斥けていっても、考えている自分だけは確実に存在しなければならないのです。また、身体を持たない自分を想像することはできますし、自分は寸分の場所も占めていないと想像することもできますが、自分そのものが存在しないと想像することはできません。ですから自分は確実に存在するのであり、その根拠は、今まさに考えていることにあります。逆に考えるのをやめたとき、存在の根拠も失われます。

  つまり人間の精神は確実に存在するもの(「実体」と呼びます)であり、身体にはまったく依存していない切り離されたものです。そして実体である精神の本質は、考えることでした。

  一方、「考えている自分が存在する」というのは、「少しでも疑問に思われること」をすべて切り捨ててもなお、疑いようもないことでした。いいかえれば、「考える働き」である「理性」がはっきり認識できたのです。それならば逆に、理性によって合理的に認識できることは確実に存在する、ということもできます。デカルトは、これを一般的な規則として採用しました。

  ところで人間である自分は不完全なものです。そんな自分が、完全な存在を想像することができます。なぜでしょうか。無から有が生じないように、不完全なものが最も完全なものを生み出すことはありません。すると、「完全な存在者」を思い浮かべることができること、すなわち完全な存在者の観念は、真に完全な存在である神から自分に注入されたものであるとしか考えられません。このことは理性によって合理的に認識できるのですから、正しいと言えます。デカルトは、人間が神の観念を抱くことから、神の存在を証明したのでした。

  また完全なる存在者である神は完全な善でもありますから、われわれをだますことはありません。もし神がわれわれの感覚を惑わし、ありもしないことを見せかけるのなら、それは神の誠実性と矛盾します。われわれがしばしば惑わされるのは、われわれの理性が混乱しているからです。自分が思い描いたものが、理性によって認識されるのであるかぎり、それは確実な存在なのです。

  われわれの理性は、長さや広がりをもつ物体を認識することができます。たとえば、自分には身体という物的存在があると考えることは理にかなっています。また、その身体が見たり触れたりする外部の物体が存在する、と考えることも自然です。「考える自分」の存在が確実になる前なら、こうした物的存在も幻想ではないかと疑わねばなりませんでした。しかしいまや、理性(という確実に存在する実体)が合理的に認識できるものも確実に存在するのですから、物体もまた実体です。身体も物体のひとつの形態として、実体です。その物体はいろいろな形をとれます。したがって物体の本質は、大きさを変えることということができるでしょう。

  こうして確実に存在する「考える自分」を根拠に、デカルトは神、精神、物体という実体を証明しました。もちろん彼の考えに問題がないわけではありません。彼は精神と物体をまったく別個の実体と考えていましたが、それが人間の中でどう結合し、作用し合うのかについては、きわめて曖昧な答えしか残しませんでした。この問題は、スピノザたち次世代の思想家に引き継がれることになりました。

  それでもデカルトは、近代哲学の扉を開いたと言うべきでしょう。思惟する自己によって、世界全体にひとつの整合性を持った体系が再構築されるのです。彼は、カオスになっていた宇宙を、もう一度コスモスとして捉えなおす視座を手に入れたのでした。

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第九講 新しい宇宙観⑥

コスモポリタンの遍歴

  十六世紀の最後の年に生涯を閉じたブルーノのカオスに確固たる中心を与え、コスモスを再構築したのがルネ・デカルトでした。十六世紀末のフランスに生まれ、オランダを中心に活動しながらもヨーロッパ中を点々とし、最後はスウェーデンで病死した彼は、コスモポリタン(世界市民)でもありました。

  デカルトの主著『方法序説』は、タイトルこそいかめしいですが、読んでみると意外に分かりやすい本です。原題を直訳すると「かれ(デカルト)の理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を求めるための方法の序説」ですから、デカルトが独自の哲学に到達するまでの遍歴を綴ったエッセイなのです。万人に通用する方法ではないかもしれませんが、少なくとも彼はこうして真理をつかむに至ったのでした。

  その第一部はこう始まっています。「良識はこの世のものでもっとも公平に配分されている」。すなわち「真実と虚偽とを見わけて正しく判断する力」はすべての人が生まれながらに持っている、とデカルトは言います。しかし多くの人は、世の中の常識や慣習に惑わされるために、良識あるいは理性をちゃんと使いこなせる人はまれです。デカルトは、自分がひとより多く理性を備えていたのではなく、理性を使いこなし、理性に導かれて真理を探求したからこそ、秩序だって宇宙を観る体系を発見することができたのだ、というのです。

  彼は若い頃、フランスでも一流の学校で、ギリシア語・ラテン語、歴史、数学、神学、哲学などを学びました。語学や歴史を学ぶことによって、知っている世界が空間的にも時間的にも広がりましたし、数学によって、確実なものを積み上げて推論していく方法を身に付けることもできました。しかし彼は既存の学問に飽きたらなくなり、「世間という大きな書物のうちに見出される学問」を求めて旅に出ます。

  あるとき彼は、多くの人がそれぞれの目的で部分部分を造るより、ひとりの人間が設計する方が、りっぱな建物ができることに気が付きます。多くの人が思い思いで関わった方が部分的に精緻なものになるかもしれませんが、建物全体の整合性による美しさは、ひとりが設計した方が優れています。学問にも同じことが言えます。とりわけコスモスを失っていたデカルトの時代においては、学問体系という建築物は、つぎはぎだらけのいまにも崩れてきそうな代物でした。彼は、自分が学問体系を土台から設計し直そうとしたのです。

  デカルトは計画の実行にあたって、「闇の中をただひとり歩く人のように、そろそろ行こう、そうしてあらゆることに周到な注意を払おう」としました。そのため、推論にあたっては四つの規則に従うことにしました。第一に、疑うことのできないくらい明らかに正しいと認められないかぎり、受け入れないこと。第二に、問題をできるかぎり細かな部分に分割すること。第三に、もっとも単純なもの、もっとも容易なものから始めて、だんだん複雑なものの認識へ進むこと。最後に、問題を完全に枚挙すること。こうしてものごとを順序だてて、前提が正しいことを確かめながら結論を導いていけば、難しく思える問題もやがて解けるのではないでしょうか。事実、この方法によって、デカルトは彼の理性をうまく使いこなすことができるようなったのです。一六一九年の十一月、デカルト二十三歳のときでした。

  新しい建物ができあがるまで、人はどこかに仮りの住まいを設けなければなりません。同じ様にデカルトは、真理を探求するための規則とは別に、その間の生活態度の指針となる「準則」を定めました。まず、もっとも穏健な意見に従いながら、宗教や法律・慣習を守って生きることです。デカルトはできるだけ、不必要な議論に巻き込まれず、思索に集中できる静かな環境を求めていました。次に、多少疑わしい点があっても、一度決めたらとことん進んでみること。たとえば森で道に迷ったとき、あれこれ方角を変えるより、きめた方向にまっすぐ歩いた方が、出口にたどりつけるのに似ています。

  また、自分の欲望を抑え、足るを知ること。新しい価値体系の確立に最善を尽くすことが重要であり、最善を尽くしても及ばないものがあったとしても、あえて求めるべきではないと考えました。最後に、自分にとって最善の仕事として、全生涯を使って真理を認識するために前進すること。これらの準則を守りながら、さらに九年間、彼は放浪を続けました。

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第九講 新しい宇宙観⑤

異端の思想家

  十六世紀後半を劇的に生きたジョルダーノ・ブルーノは、キリスト教が支配した宇宙観にとって、「危険な挑戦者」の代表格でした。十七歳でナポリの修道院に入った彼は、そこで当時流行していた新プラトン主義を知ります。プロティノスを「哲学者の帝王」と称えるほど、その強い影響を受けたブルーノは、二十八歳のとき異端の嫌疑をかけられたため修道院から逃げ出しました。以後十五年以上にわたって、イタリア、スイス、フランス、イギリス、ドイツ、ボヘミアをまわりながら逃亡生活を続けていましたが、一五九一年、イタリアに戻ったところで捕まってしまいます。

  それから八年余りを獄中で過ごした後、一六〇〇年二月、ローマのカンポ・デ・フィオーリ広場で、異端として火あぶりに処せられました。ブルーノの火刑を観ようと集まった人々に向かって、「宣告を受けている私よりも、私に宣告を下しているあなたがたの方が、真理のまえに恐れおののいているのではないか」と言い残して、彼は五十一年の生涯を終えました。今では花や果物が売られるにぎやかな市場になっている広場の中央に、ブルーノの像が立っています。

  ブルーノは、宇宙は無限であり、どこかに中心があってそこから有限の距離に周囲があるという構造にはなりえない、と説きます。そこから、宇宙の中心はない、ということもいえますが、彼はむしろ積極的に、あらゆる場所が中心であると考えます。また宇宙が無限であるならば、創造者が「外部」にいて被造物を作り出すような境界もなくなり、宇宙全体が、創造者である最高存在(あるいは完全に善である存在)と一致しているとも考えました。つまり宇宙あるいは自然は、創造する存在でもあるし、同時に創造される存在でもあるのです。宇宙と最高存在は同一であるというのは、宇宙のすべてが中心であることと、論理的にも一貫していました。

  余談になりますが、ブルーノの宇宙観は、現代の宇宙理論に照らしてもある程度正しいと言えます。宇宙が膨張し続けていることは知られていますが、これを風船の膨張にたとえる説があります。風船に印を付けて膨らませると、どの印と印との間隔も広がり続けますし、どの印から観測してもそこを中心に広がっているように見えます。宇宙も同じように、どこが膨張の中心だとはいえず、むしろどの点もが中心なのです。

  ブルーノの汎心論(中心がどこにでもある)は汎神論(自然のすべてに神が内在する)でもありましたから、教会が異端と宣告するのは当然でした。これにたいし彼は、自分の思想は合理的科学的に導かれた絶対的な真理であると信じて、自説を放棄しませんでした。

  しかしブルーノが唱える宇宙は、もはやひとつの体系だった秩序(コスモス)ではありません。人々は巨大なカオスのなかで漂い、確固たる視座を失いました。中世では神学も哲学も科学も、ひとつのコスモスのなかで語られました。十六世紀以降、実験による科学的な実証や、数学による論理的証明が重んじられるようになり、多くの真理や法則が発見されました。ただそれらは、たとえば物体の落下のように、あくまでも宇宙のひとつの現象を説明するものであり、宇宙に秩序を再構築できるようなものではありませんでした。宇宙全体をひとつの体系で把握することはできなくなってしまったのです。

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第九講 新しい宇宙観④

無限なる宇宙

  二十世紀前半のアメリカの哲学者アーサー・O・ラブジョイは、その学際的な思想史研究の金字塔ともいうべき著作『存在の大いなる連鎖』でこう述べています。十六世紀から十七世紀にかけて知識人に広く受け入れられた、宇宙の形状に関する革命的な考えとは、まず第一に、太陽系内の他の惑星に、人間と同じように理性を備えた生物が住んでいるのではないか(太陽系の惑星に宇宙人がいる)、という想定でした。第二に、恒星群が張り付いているような外壁が存在するのではなく、宇宙は無限に広大であり、恒星は不規則な距離に散らばっている(恒星は無限の宇宙の中に散らばっている)という考えでした。

  第三の仮説は、恒星はわれわれの太陽と同じであり、ひとつひとつの恒星の回りには惑星群が取り巻いていることです。第四には、こうした太陽系外の惑星にも、知性のある生物が住んでいるかもしれないこと。最後に、宇宙がその大きさにおいて無限であるならば、太陽あるいは恒星の数も無限である、という仮説です。

  第一と第四の仮説はともに、地球の人間以外にも、肉体という物質的要素だけでなく精神や知性という霊的要素を合わせ持った生命が存在する、と言っています。もしそうだとすれば、「神の受肉とキリストによる救いという感動的なドラマ」が、宇宙のあちらこちらで起こる、ごくありふれた物語になってしまいます。また、第二と第三の仮説は明らかに、宇宙にはいかなる中心もないことを意味していました。こうして宇宙は、神の合理性に基づく統一された秩序ではなく、「分散された孤立した多数の体系にばらされてしまった」のです。つまり「宇宙は形であることをやめ、想像もつかない遠い空間のあちこちに不規則に散らばった世界の不定形の集合になった」と、ラブジョイは言います。

  こうした宇宙観は、ルネサンス期に復活したプラトン思想、とりわけローマ時代にプラトンのイデア論を発展させたプロティノスの新プラトン主義を根拠にしていました。ただ、プラトンやプロティノスが想定した最高存在は、キリスト教化されたローマ帝国やヨーロッパ中世を経ることで、キリスト教の神に取って代わられていましたが。

  プロティノスによれば、最高存在(神)は無限のエネルギーを発散しながら存在を創造し続けています。しかも存在そのものは善であるとされました。この世界には悪という「存在」はなく、神から遠い不完全な存在には善が少なく、あるいは欠如しているだけであると考えられました。また存在そのものが善であるなら、ありえることが可能な存在はすべて現実に存在を許されるはずです。なぜなら、ある存在を許し別の存在を許さないとすれば、神はねたんでいることになるからです。そして、もしあらゆる可能な存在が許されるのなら、地球以外に知性的な生物が存在することも十分ありうることでした。ましてや全知全能の神が、人間程度の被造物に満足して、ほかの知的な存在の創造をやめたとは考えられません。また、宇宙に外殻がある(閉じている)と考えることも、神の持つ、存在を無限に創造するエネルギーと矛盾していました。

  この宇宙が無限であるという考えや、人間以外に物質的要素と霊的要素をかねそなえた存在を認めることは、キリスト教神学にとって、コペルニクスやガリレオの太陽中心説(地動説)とは比べものにならないくらいの挑戦でした。なぜならば、物質に閉じこめられた霊的な存在が地球以外にも無数にいるのなら、それを救済するキリストも無数に現れなければならなかったからです。また宇宙が無限であり中心がないことは、どこにでも中心があると考えることもできました。するとユダヤ教以来の伝統である、人格的な唯一絶対神すらも否定されることになります。ですから宇宙無限論は、キリスト教にとってもっとも危険な思想だったのです。

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第九講 新しい宇宙観③

コペルニクスの地動説

  十六世紀になると、地球中心説(天動説)に反対する者が現れました。ポーランドの天文学者コペルニクスです。彼は、イタリア留学中にギリシアの文献に触れ、太陽中心説(地動説)を知ります。コペルニクスの主著となった『天球の回転について』は彼の死の直前に出版されましたが、またたくまにヨーロッパ中の知識人に読まれました。

  天動説では地球が動かない点となり、その周りを太陽が動いていましたが、コペルニクスは逆に、太陽が動かない点で、地球も他の惑星とともにその周りを回っていると唱えました。彼の著作は、天動説が常識であった当時の人々に大きな衝撃を与えました。しかしコペルニクスの地動説は、宇宙には中心があると考えた点では、プトレマイオスの天動説と変わるところがありませんでした。つまり太陽中心か地球中心かは、観測する場所(地球)が動いているか観測の対象(太陽)が動いているかの違いにすぎません。プトレマイオス自身が地動説にするか天動説にするか迷ったように、中心に地球を置いても、惑星が太陽の周りを回る運動に複雑な運きを加えさえすれば、天体の運行は説明できたのです。

  キリスト教は地動説を異端とみなしました。十七世紀前半、ローマ教皇庁はガリレオを異端審問の場に引きずり出してまで、天動説を守ろうとしました。落体の法則、慣性の法則、振り子の運動の法則、木星の衛星の発見、太陽の黒点の発見と、物理・天文学の分野で数々の偉業をなしたガリレオが、地動説を放棄させられた裁判で「それでも地球は動く」とつぶやいた話は有名です。しかしローマ教皇庁が地動説を認めなかったのは、地球の代わりに太陽が中心に位置すると、人間の地位が「不当に」引き上げられるからでした。また地動説を採ると、キリストの昇天を描こうとする際、太陽へ向かうのと、恒星のかなたへ向かうのとではまったく方向が違ってしまう不都合が生じたからでした。

  実は、コペルニクスの説が革新的な点は、太陽を中心に置いたことよりも、宇宙は有限ではないのではないかと示唆したことです。彼は積極的に宇宙は無限であるとは言いませんでしたが、宇宙は閉じていないかもしれない、という考えは持っていました。彼自身は十六世紀半ばに亡くなりましたが、そのとき、地動説よりはるかに大きなインパクトのある宇宙観が、知識人に浸透しつつあったのです。

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