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第十二講 ドイツ哲学の巨人⑤

運命としての国家

 ローマ帝国の辺境で誕生した原始キリスト教会は、パウロの伝道によってギリシア文化圏へ広がり、断続的な迫害を受けながらもローマ帝国全体へ浸透していきました。最初は虐げられた人々の信仰共同体であった教会のなかにも、貧富の差が生まれました。教会組織は階層化され、上級の聖職者は世俗の権力も兼ねるようになります。やがて皇帝すらもキリスト教に帰依し、ついには帝国の国教になると、キリスト教会という宗教組織が、国家の統治機構と重なり合うようになりました。神の愛と神への愛、隣人どうしの愛から出発したはずのキリスト教が、国家という客体、すなわち人間の外部にある厳然とした存在になったのです。しかも人間の主体性は、愛によって癒されるのではなく、かえって罪の意識におびえさせられるようになりました。

 同様のことが、ギリシアの都市国家についてもいえます。アテネの民主政治は、市民の直接参加によるものであり、国家の意思決定が市民の総意に基づいて行われていました。しかしそれは、ペルシア戦争後、アテネに富が集まり、ペリクレスなど有能な指導者に恵まれた全盛期に限られたことでした。それを過ぎると、直接民主制は衆愚政治へと変じ、アテネは他の都市国家との戦争に敗れていきます。やがてギリシアの全都市国家が、マケドニア王の支配下に入り、数世紀を経てローマに滅ぼされてしまいました。そこにはもう市民の総意に基づいた国家の意思はありません。王、軍閥、皇帝といった権力者の意思が、国家の意思なのです。

 こうしてみると、人間あるいは人間の主体性にとって、国家は外部にあって、人間と対峙する存在であることの方が、歴史の中では常態であるといえます。その国家は、愛によって人間という主体と合一できない、やっかいな客体です。ヘーゲルはこうした国家を、人間にとっての運命である、と称しました。

 ヘーゲルは、フランス革命が勃発した学生時代、ルソーやヴォルテールと同じように、人間の主体性が集まって市民社会となり、市民どうしの契約が争いごとがなく執行されるように監視する機構としての国家が存在すればいい、と考えていました。この考えは、フランス革命が急進主義を突っ走っていた時期の思想に近いものです。しかしナポレオンがクーデターによって第一執政となるころから、ヘーゲルは国家を運命としてとらえ、いかにして運命である国家と人間の主体性が和解できるかに、思索を傾けるようになりました。

 ヘーゲルは、共和国の第一執政からフランス帝国の皇帝となったナポレオンを受け入れました。一八〇六年、ナポレオンがプロイセン王国に侵攻し、ヘーゲルが住んでいたイエナの町を占領したときも、ヘーゲルは馬上の皇帝を称賛しました。それは、プロイセン王よりもナポレオンが統治者として優れていると評価したからです。封建的なプロイセンよりも、ナポレオン治下の方が、国民の権利が守られ、人間が理性的であることができると考えたからです。だから、プロイセンで政治改革が始まると、これを積極的に支持するようになりました。

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