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第十二講 ドイツ哲学の巨人⑥

歴史を動かす力

 人間にとって国家は運命です。しかし、その国家も時代と共に形態が変わります。古代ギリシアの都市国家は、王政から貴族政を経た後、直接民主制を生みました。ローマは、自由農民が没落し貧富の差が拡大すると、共和政を維持できなくなり、帝政に移行しました。やがてローマ帝国もかつての力を失い、ゲルマン民族の大移動によって、ヨーロッパはその中心を地中海沿岸から内陸へと遷します。都市を中心とした流通経済が衰退し、封建領内の自給自足経済が主流になった中世を支配したのは、キリスト教会と封建諸侯でした。さらにはルネサンスや宗教改革を経て、イギリスやフランスは国王に権力が集められた国民国家に姿を変えます。そしてヘーゲルの時代、絶対王政の国家は市民煮よって倒さるか内部から改革され、国民の権利を認める国家へ変わろうとしていました。

 国家が運命であるのなら、何故変化するのでしょうか。何が変化を起こすのでしょうかか。キリスト教者なら、神が動かしているというでしょう。歴史も、神の計画が実現されていく過程だというにちがいありません。しかしヘーゲルは、神という絶対的な客体を設定しません。設定したとたん、人間の主体性は押しつぶされてしまうからです。

 では個々の人物や集団が、国家を変えるのでしょうか。たしかに、革命とかクーデターなど歴史が大きく回転するときは、指導的な政治家やグループが現れます。フランス革命でも、ジャコバンクラブが国王を処刑し、ナポレオンが共和政を帝政に変えました。しかしそれは、個々の人物や集団の力だけで歴史が動いたのではありません。歴史の大きなうねりの局面局面で、歴史を動かしている本当の力が、具体的な人間の身体を通して、現実世界に現れるのです。歴史の中には、何か大きな意志が働いて、ある特定の目的のためだけに、特定の人物をこの世に遣わし、目的を果たすと惜しげもなく表舞台から消してしまっているとしか思えないことが、しばしばあります。ヨーロッパでは、ナポレオンがまさにそうでした。

 ヘーゲルは、歴史を動かしている本当の力を、主体である人間の精神が普遍化したもの、と考えました。普遍化した精神と個別の人間との関係は、人間の身体と個々の細胞の関係に置き換えると分かりやすいでしょう。個々の細胞は、それぞれの役割を果たしながら、生まれ死んでいきます。死んだ細胞は、新しく生まれた細胞に取って代わられます。しかし、人間の身体は一定のままではありません。人間は赤ん坊から若者へと成長し、成熟した壮年期を経て、老いていきます。人間は、さまざまの細胞から成り、さまざまの器官から成っていますが、身体全体が統一されてはじめて人間といえます。人間こそが実体であり、細胞が実体ではありません。と同時に、細胞なしでは人間は生きられないのです。

 普遍化した精神は、ちょうど人間が赤ん坊から成長するように、自己実現を図ります。精神の自己実現過程が、歴史にほかなりません。そして精神の自己実現とは、人間の理性が自由を享受でき、主体性が発揮されることです。精神は、その自己実現過程で歴史を動かし、国家の形態を変えます。ヘーゲルは、専制君主国家を人民主権の共和国に変えようとしても、時代の精神が、または民族の精神がそこまで成長していなければ、時期尚早の企てであり、個々の人物や集団の力ではどうすることもできないと考えます。下手に蜂起しようものなら、その後に反動的な政治を招くだけです。むしろ現在の精神に応じた国家形態を受け入れ、その枠の中で精神を育んでいくしかありません。これが、ヘーゲルがドイツ民族についてたどり着いた結論でした。

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