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2009年5月

あとがき③

 ニーチェのところで、世界に意味づけをする神や超越者が失われたと述べました。これは、当時およびそれ以降の哲学者や思想家が、ユダヤ教やキリスト教(の神)を信じなくなったということではありません。「世界の意味づけ」という問題を神に委ねなくなったか、問題そのものを立てなくなった、ということです。フッサールはユダヤ教からプロテスタント(ルター派)に改宗しましたが、一神教の神を信じていたことに変わりありません。ハイデッガーもウィトゲンシュタインもキリスト教徒です。ウィトゲンシュタインは、彼の信仰ゆえに、罪の意識に苦しんでいます。サルトルやフーコーは無神論の立場を取っていたようですが、むしろ少数派なのではないでしょうか。

 「家族となったこと」は偶然だと言いましたが、結果としての家族の関係あるいは家族の系統の大切さは別です。私自身のことを言えば、祖先の積んでくれた徳で生かされると信じています。その点はきわめて儒教的です。

 最後に、この話を構成できたのは、多くの先達のおかげです。先ず最初に、村上陽一郎先生の科学哲学史の講義に感謝の意を表さなければなりません。そもそも先生のクラスを受講しなかったら、この話は生まれなかったでしょう。講義で使われたラブジョイの『存在の大いなる連鎖』は、いまだにときどき読み返しています(講義のテキストは英文原著でしたが、すでに邦訳を購入していました)。フォイエルバハとマルクスについては、折原浩先生の社会学講義における先生お手製のテキストに負う所が大きいです。ヘーゲルは、一年先輩の西研さんから伺ったことがかなりヒントになりました。所有権と人間の主体性については、加藤尚武氏の著書を参考にしています。「ヨーロッパの哲学的伝統は、プラトンにつけられた一連の脚注である」というホワイトヘッドからの引用の出所を教えてくれたのは、「二一世紀をホワイトヘッドの時代にする」と孤軍(?)奮闘している同郷の哲学者中村昇君です。彼にも、謝辞を述べたいと思います。お名前を挙げきれませんが、多くの方々に思考を深めるきっかけを頂きました。深く感謝いたします。

(了)

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あとがき②

 冒頭に申しましたが、私の話は、基本的には十九世紀末のニーチェで終わっています。西欧の精神文化は、ユダヤ教に端を発する流れと、ソクラテス・プラトンに端を発する流れとが二重螺旋のように絡み合いながら新しい思想を織りなしてきました。それを覆そうとしたのがニーチェです。十九世紀末以前と以降の哲学・思想には、問題の立て方に大きな断絶があります。もちろん、ソシュール、フッサール(ソシュールと同世代)、フッサールに学んだハイデッガー、ウィトゲンシュタインといった、以前とまったく異なる問題の立て方を始めた思想家たちが、ニーチェの影響を受けているわけではありません。ただ、ニーチェを象徴として取り上げ、ニーチェで終わらせました。十九世紀までの連続性のなかでは二十世紀の思想家たちを語ることができない、というのを言い訳に、私にはとても手に余る作業は行わないことにしました。

 誤解を招かないように、四点ほど補足をしておきます。

 ヨーロッパの精神文化「史」ですから、歴史順にお話ししました。しかし時代が新しい時代の思想が、古い時代の思想より優れているというわけではけっしてありません。それぞれの思想家がそれぞれに問題を立てて、新しい思想を付け加えていったのです。哲学や思想(そして信仰も)は、すぐれて個人的な問題です。これまでのさまざまな思想家が立てた問題に、みなさんがひとつでも共感できるものがあればいいのです。プラトンが自分に合うという人もいるでしょうし、カントがいいという人もいるでしょう。自分に合わなければ、いいかえれば、自分の問題として感じ取れなければ、たんなる知識でしかありません。自分の問題として受け止めたとき、生き生きとした思想になります。

 

 ここで述べてきたのは、ヨーロッパの思想家、宗教家、哲学者の考えです。当然、一般民衆の考えとは違うのではないかと思われる方もいるでしょう。しかし思想家・宗教家・哲学者の価値観と一般民衆のそれとに、何の関係もなかったとは思いません。ユダヤ教の思想とギリシアの哲学は、キリスト教の世界観へ流れ込みました。ヨーロッパの人々は結局、キリスト教の習慣を受け入れその思考に慣れました。ルソーやヴォルテールの思想は、フランスの政治家を動かし、民衆を動かし、ついには古い体制を倒しました。さらにナポレオンとその軍隊を通じて、ヨーロッパ中に広がっていきました。われわれは、カントの主観・客観の見方になじみ、ヘーゲルの歴史観の影響も受けています。マルクスの思想は、それが正しく受け継がれたかはともかく、新しいタイプの国家を生みました。民衆の方が先行する場合だってありえます。ニーチェのニヒリズムは近代人のぼんやりとした不安を表していました。ですから、思想家たちの思考を振り返ることは、ヨーロッパの人々のこころを振り返って見ることであり、現在のヨーロッパ人のこころを理解することに通じるのです。

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あとがき①

 ようやく十九世紀末までの、ヨーロッパの精神文化史を終えました。正確には、ハイデッガーやウィトゲンシュタインにもわずかばかり触れたので、二十世紀の思想もかいま見たことになります。ちなみに、このふたりの哲人は同い年(一八八九年生まれ)で、ウィトゲンシュタインが5ヵ月長じているだけです。

 最後の講で取り上げたニーチェやウィトゲンシュタインの考えは、少し厳しすぎたかもしれません。私を含めて、多くの人はそれほど強くないからです。やはり、もたれ合う暖かさが欲しいし、語り合えることを信じたい、というのが正直な気持ちです。しかし、ふたつの理由から、あのような終わり方にすべきだと思いました。

 ひとつは、ユダヤ教、ソクラテス・プラトンという二大源流から書き綴っていくと、自然にそこへ来てしまったからです。いわば、筆の導く通りに進めていったところに、ニーチェの反転があり、孤独な人間が立っていたのです。ああいう終わり方は、暗いです。違うような終わり方も考えなかったわけではありません、しかしあの「孤独な人間」を見ていると、私の弱さをさらに甘やかすようなことはしないで、元気を出さなければと思い直しました。

 もうひとつは、なんとなく共感する仲間どうしで、仲間内で通じるコトバを使って、表面的なコミュニケーションを交わすような、現代の人間関係のあり方に反発を覚えているからです。人間ひとりひとりは孤独であるという現実を認め、コミュニケーションをとることの大変さも認め、その上で、世界と関わろうとするべきだと思うからです。ですから、「世界へ投げ出された存在」が「世界と関わっていく」というポジティブな面も出すために、ハイデッガーに登場してもらいました。

 ひところ(今でもかもしれませんが)、自分がわからない若者による「自分探し」が流行りました。また最近では、何をしたらいいのか分からない若者が多い、と言われています。それに対し、大人は(進路指導の先生がその典型かもしれませんが)何をしたいのか見つけなさい、といって若者を追い詰めています。しかし、自分が分からないとか、何をしたらいいのか分からない、というのは今に始まったことではありません。昔からほとんどの若者が悩んできたのです。若者を追い詰める大人に言いたいです。「あなたは、若いとき、何をすべきか分かっていましたか、自分が何者か分かっていましたか」と。若いうちから自分が何者で、何をすればいいかを分かっている人間は、ほとんどいません(ごくわずかの幸運な人はいると思います)。四十、五十と齢を重ねてようやく見えてくる人も多いのではないでしょうか(私もそのひとりです)。分かっていなかったから、過去の哲人たちは悩み、思想を生み出していったのではないでしょうか。

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第十四講 新しい神話⑪

孤独な人間

 目的も方向性もない世界においては、われわれの存在は偶然でした。あなたと私の関係も偶然です。では、偶然に知り合ったあなたと私は、どうやって分かり合えるのでしょうか。たしかに、共通の言語を用い、共通の用語を用い、共通の論理を用いれば分かり合えるのかもしれません。しかし本当にそうなのでしょうか。

 あなたは、友人に言いたいことが分かってもらえないもどかしさを感じたことがあると思います。言葉を尽くしても分かってもらえなかった経験があると思います。それでは、分かってもらったと感じたときは、本当に分かってもらっていたのでしょうか。「分かってもらった」ことがどうやって分かるのでしょうか。

 「一足す一は二である」いう判断や、「昨日列車事故が起きた」という事実は、他人に伝わります。「一足す一は二である」ことを相手が理解したかどうかは、「二足す一は?」という問題が解けることで分かります(ように思えます)。「昨日列車事故が起きた」ことが伝わったかどうかは、相手が「どこで?」とか「けが人はなかったの?」と聞き返すことで分かります(ように思えます)。しかしそれはわれわれの間で、「足す一」の演算は次の数を導く、という了解があるからではないでしょうか。事故が起きたら、場所や被害者の状況を聞くものだ、という了解があるからではないでしょうか。そうした了解を共有していない社会の人々には、たとえ翻訳が正しくとも、うまく伝わらない(と感じてしまう)のではないでしょうか。

 言葉の伝達に、それに先立つ了解や社会習慣が必要だとすれば、「自分はこういうふうに思う」という主観的な判断が正確に伝わるのは、奇跡に等しいでしょう。あなたにはあなたの世界があり、私には私の世界があります。そしてあなたと私がたまたま、同じ経験、同じ感覚を持ったとしても、同じように考えるという保証はどこにもありません。保証されているのは、あらかじめ了解されていることや、習慣化されていることです。「話して理解し合える」というのは、お互いに相手を敬う姿勢と継続的な努力が必要なのです(それでも本当に分かり合えているかどうかは、分かりません)。

 人間は本質的なところで、孤独なのです。それは、自分が一番言いたいことを言わんとするときに、相手に伝わらない、伝わった気がしないことで痛切に感じます。孤独な人間が、苦渋に満ちた世界で、苦闘しながら生きていくのだから大変なことです。それでも、苦悩しながらも、自分という存在と自分の世界を是認し、自分の周りと関わっていく強さを持ち合わせなければなりません。自分の周りの世界に働きかけ、自分の可能性を信じ、世界が変わっていくことを信じて生きるよりほかはありません。それが、古い神話を脱ぎ捨てたわれわれの、新しい神話なのです。

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第十四講 新しい神話⑩

世界へ投げ込まれた存在

 十九世紀末から二十世紀にかけて資本主義経済はますます発展し、人間は、分業化した社会という巨大な機械の一個の歯車にすぎなくなってきました。そういう人々にとって、自分が存在するということはどういことなのか、そしてどのように生きるべきなのか、といった問いはいっそう切実なものになっていました。われわれはどのように存在しているのか、先ずはそこから考えてみましょう。

 われわれの周りには「存在するもの」があふれていますが、それはわれわれが意識するからです。ぼんやりしてたり、他の人や物やことに関心がいったりしているときは、たとえ視覚の中に入っていても、意識に上ってきません。たとえば恋人と待ち合わせをして、何十分か待った後、ようやく彼あるいは彼女がこちらへ向かって来るとします。そのときあなたには、彼または彼女は意識されますが、その他の人やものはほとんど意識されません。意識されない人やものは、あなたにとって「存在しない」に等しいでしょう。

 意識されたものだけが、自分にとって「存在するもの」です。「存在するもの」は、形あるものだけではありません。思想、宗教、法律、制度、理論、技術なども含みます。自分の外側だけでなく、知っていること、考えたことなど、自分の内側にも「存在するもの」はあります。さらには現在だけでなく、経験、希望・予測といった過去や将来のことも含まれます。それらがすべて、ひとりひとりにとっての世界なのです。そして、われわれはそういう世界に投げ込まれた存在、気づいたときには世界の中にいる存在です。われわれは、世界に関心を持たり、(あえて)無視したりすることで、世界に意味を与えます。

 つまり、われわれの外側に世界があり、超越した存在から意味を与えられるのではなく、われわれが世界と関わる(無視し排除することも「関わる」と考えます)ことで世界を意味づけし、ときには変えていくのです。また、世界を変えることで、自分の可能性も開花していきます。それが、(他の誰でもない)自分が存在するということです。また、世界と積極的に関わって生きていくことが、自分の可能性を展開しながら生きていくことが、人間らしい生き方なのではないでしょうか。

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第十四講 新しい神話⑨

近代人の苦悩

 ヨーロッパ人は長い間、自分たちの存在は、神や超越者によって意味づけされていると信じてきました。どのような人間であるべきか、どのように生きるべきかについても、神や超越者が与える道徳(倫理)に従えばよかったのです。しかし、もはや世界に意味を与えてくれる神や超越者は失われました。

 また、世界は確固とした目的を持っていたわけではなく、何かに向かって進んでいるわけでもありませんでした。世界自体に目的がない以上、ひとりひとりの人間が存在することには、何の必然性もありません。あなたや私が存在するのは、たんなる偶然です。あなたが友人と出会ったのも偶然です。極端に言えば、あなたがあなたの親から生まれてきたことも、まったくの偶然なのです。他の誰でもなく、その人でなければならない理由はどこにもありません。つまり人間の存在や、人間どうしの関係は、外(神や超越者)から意味を与えられていないだけではなく、根拠もあいまいだったのです。

 人間の存在、人間どうしの関係が偶然性に満ちているとすれば、われわれに起こる出来事はみな、説明をつけようとしても説明がつきません。意味も目的も必然性もないのですから、説明がつかないのはあたりまえです。説明できないことは、理解しようとしても理解できるはずがありません。人間は、自分に起こる出来事を懸命に説明しようとします。理解しようとします。しかしもともと説明できないし理解できるはずがないのです。ここに、人間と世界の間の、なんともいいがたい不合理性があります(こういう絶望的な限界状況を、二十世紀には「不条理」と呼ぶようになりました)。

 人間は三重に苦しまなければなりません。まず、世界そのものが苦渋に満ちた世界です。その世界のなかで、神や超越者といった頼るべき存在を失った近代人は、自分の存在にみずから意味づけをしようと苦闘します。最後に、あいまいな根拠しかない人間に起こる出来事は不条理に満ちています。それでも人間は後戻りを許されません。

 神の意味づけを失った近代人は、自分で意味づけをできる点で自由です。しかしそれは、自由であろうとしてなったのではなく、自由な状態に放り出された状態なのです。

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第十四講 新しい神話⑧

永劫回帰

 われわれが「最後の人間」であることをやめ、超人のように、生を是認できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか。その鍵となる思想が、ニーチェのいう「永劫回帰」です。ニーチェは、世界は始まり(創世)と終わり(終末)があるのではなく、遠い過去から未来永劫にわたって繰り返されると考えました。たとえ繰り返すのに数十億年かかるとしても、終わりはありません。必ず繰り返すとすれば、人間はそこに目的を持った方向性を求めることはできません。現在と同じ状態がふたたびやってくるのなら、人間は「神の国」に逃げ込んだり、「神の国」で強者に復讐したりすることもできないのです。

 そこまで追い込まれたとき、われわれは生をどう受けとめるでしょうか。苦悩に満ちた生であっても、禁欲的に道徳を守っていればいつかは救われると信じられたときは、耐えることができました。しかし永劫回帰の世界では、苦悩に満ちた生は、必ずまたやってきます。もうこれを受け入れるしかありません。どうせ受け入れるのであれば、肯定的に受けようではありませんか。人生の出来事にたいし、「そうであった」のではなく、「わたしがそのように欲した」と考えるのです。どうせ繰り返されるのであれば、みずから繰り返されることを望んでみようではありませんか。

 人生はたしかに苦悩に満ちています。でも一瞬一瞬を精一杯に生きて、そのなかでひとつでも幸福に輝いたときがあれば、その輝きをもう一度味わいたいと願うでしょう。一度だけでなく何度でも味わいたいと願うでしょう。毎日肝臓を食いちぎられる苦しみを受けるプロメテウスも、人間に文明を与えた喜びは忘れられないのではないでしょうか。それならば、ゼウスの与えた禍いによって苦しむ人間も、文明を与えられた生を喜ぶべきでしょう。

 ニーチェの人生も、人からみれば決して幸福ではありませんでした。思想界からは追放され、愛した女性(ルー・ザロメ)とは結ばれず、深い孤独感のなかでついには発狂します。しかし彼にとって、ザロメを愛した恍惚の時は至福だったのであり、たとえ人生の残りがすべて不幸であっても、自分の人生が何度でも繰り返されることを願ったに違いありません。事実、永劫回帰の思想は、ザロメへの愛が失恋に終わった後で受けたインスピレーションが生んだものです。

 世界には意味がありませんでした。人間は、ありのままの生を是認し、むしろ自分の力を精一杯発揮しなければなりません。世界が繰り返されるのをみずから願うくらい、悔いのない人生を送るべきです。ニーチェは、ユダヤ教・キリスト教の唯一絶対神信仰とプラトンに始まる哲学が織り成すヨーロッパの精神文化が、連綿と続いたひとつの流れに終わりを告げるとき、新しい世紀に向けて一閃の雷光を放ったといえます。一九〇〇年八月二十日、十九世紀最後の夏に、狂ったままの彼は、妹に見守られて静かに息を引き取りました。

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第十四講 新しい神話⑦

神は死んでいる、超人生きよ

 十九世紀の終わりにヨーロッパ人がたどり着いたのは、世界にはそもそも意味がないのではないかという、ぼんやりした不安でした。世界に意味を与える完全な存在、世界を創造し計画に従って動かしている神は、産業の発展とともに肥大化しつつ歪みも大きくなっていく社会や国家を前にして、人々にはもはや力なき存在に見えました。人々は、世界があらかじめ決められた目的で動いているのではなく、因果関係や物理化学の法則で変化するのにすぎないことが分かってきました。原因をさかのぼっても、歴史的な必然性や機械的な作用があるだけで、なんらの意図も観ることはできません。世界には秩序もありません。世界は統一された組織体ではなく、ものごとの関係性が無限つながっているカオス(混沌)にすぎないことが分かりました。この世界を超えた「本質」や「真の世界」もありません。この世界のみが実在しており、実在の背後を求めてもなにも存在しないのです。

 世界に意味はありませんでした。いいかえれば、世界に意味を与えていた神は、もう死んでいたのです。いや、意味を求めてきた人間が、意味を思索するあまり、真理を探究するあまり、神や絶対者の居場所を追い詰めていきました。つまし、人間がその手で神を殺したのです。

 神を殺した人間にとって、あるがままの世界がすべてであり、どんなに苦悩に満ちていようと、この世界しかありません。人間は、世界の意味を求めて突き進んできましたが、結局徒労に終わってしまいました。真理を求めて努力してきましたが、何世紀にもわたる努力は無駄だったのです。徒労だった、無駄だったという脱力感は、人々に虚無感(ニヒリズム)を起こさせます。ニヒリズムは、十九世紀後半のヨーロッパに、さまざまの形で現れました。思想における唯物主義やペシミズム、科学における機械論や因果論、芸術におけるロマン主義やデカタンティズム。

 ではどうしたら、このニヒリズムを克服できるのでしょうか。ニーチェは、まずニヒリズムを徹底させようとします。世界に意味はないのだから、過去を懐かしんでも無駄です。「真の世界」を思い描いて逃げ込むこともできません。ニーチェは、ヨーロッパ人の精神的退路を断ち切ったのです。

 ニーチェの主著『ツァラトゥストラはかく語りき』の序説では、「最後の人間」が批判されます。「最後の人間」は、すべてを矮小にしてしまいます。地蚤のように根絶しがたく、つねに温暖を求めます。隣人にからだをこすりつけるのも温暖が必要だからです。彼らは用心深くゆったりと歩きます。彼らは貧しくもなく富んでもいません。だれも統治せず、だれにも服従しません。どちらにしても、わずらわしいからです。そこには牧人はいなくて、畜群だけがいます。彼らは「幸福を作り出した」ことに満足しています。「最後の人間」とは、奴隷道徳によって生き延び、怠惰なぬるま湯的生活を「自由」と勘違いしてきた、凡庸な人間たちです。

 「最後の人間」を批判して、ニヒリズムを徹底した上で、ニーチェは「超人」を唱えます。超人は、人間の存在そのものを肯定し、生を是認する者です。ディオニュソスです。しかし超人は、「幸福」に満足している人間には、なかなか受け入れてもらえません。奴隷道徳では「悪い」者とされているからです。したがって、超人は没落や犠牲を余儀なくされます。それでも彼らは、おのれが没落し犠牲となる理由を、星空の彼方に求めることをしないで、いつか大地が超人のものとなるように大地に身を捧げます。ニーチェは心から叫びます。「すべての神々は死んだ。いまや、わたしたちは超人の生まれ変わることを願う」と。

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第十四講 新しい神話⑥

近代哲学批判

 神の世界こそが真の世界と説き、長らく人々を精神的に支配するのみならず、王侯貴族といった世俗権力にも勝る権力を持っていたキリスト教も、ルネサンスや宗教改革を経て、その権威は失墜しました。ヨーロッパの国家は、国王を中心にまとまり、ローマ教皇の超国家的な権力も、教会の世俗的な権力も、国民国家の前に吹き飛んでしまったのです。

 政治的な衰退に続いて、キリスト教の描く世界観も、科学的なメスが入れられるようになります。コペルニクスは、地球中心説(天動説)から太陽中心説(地動説)への転回を唱え、ガリレオやケプラーが科学的な証明を加えました。とくに太陽すら宇宙の中心ではなく、宇宙は無限であり、どこにも中心などない(あるいは、どこもが中心である)という事実は、神によって計画的に創造された宇宙という概念を大きく揺さぶりました。

 思想面でも、変革の嵐は押し寄せます。ソクラテスやプラトンは、理性の働きによって、人間はものごとの本質や完全な理想型(イデア)を観ることができると考えました。プラトンは、実在の背後に本質としての存在がある、と考えます。さらに突き詰めていくと、完全な存在であり、すべての存在の第一原因である神がいる、と唱えました。神や霊魂を探求しようとする思想(形而上学)は、プロティノスを経由した後、聖アウグスティヌスによってキリスト教に取り入れられます。こうして連綿と受け継がれ、発展してきた形而上学を批判したのが、カントでした。

 神や霊魂については、人間は経験したことがありません。こうした経験に基づかないものを、理性によって判断することはできない、というのがカントの批判です。しかし一方でカントは、われわれの心の内部から、われわれに命令する声があるといいます。この声こそ、実践の場における理性であり、道徳律(良心の命令)にほかなりません。道徳律にしたがって人間に努力させるために、道徳と意志が一致している存在、すなわち神の存在が必要であり、人間がそこへ近づくために、霊魂が永遠である必要があります。カントによれば、理性による判断ではなく、理性の実践の場で、神の存在や霊魂の永遠性が要請されるのです。

 十八世紀後半のカントに続く十九世紀前半のヘーゲルは、理性を「論理的に思考する能力」あるいは「思慮的に行動する能力」にとどめず、「人間の精神が普遍化したもの」であると考えました。その理性が歴史を動かしている、といいます。歴史を動かしている本当の力(理性)が、具体的な人間の身体を通して、現実世界に現れるのです。いいかえれば、人間の精神が普遍化したもの(世界精神とも呼びます)が自己実現していく過程として歴史があります。そして、世界精神の自己実現の行き着くところは、理性が社会や国家を完全に支配し、人間が主体的であることができ、自由が実現する世界です。

 たしかにカントやヘーゲルは、ソクラテスやプラトンが唱えたような、理性を突き詰めれば神や霊魂について分かることができるという楽観的な形而上学を批判しました。しかしかれらも、世界に意味を求めようとしていた点では、彼ら以前の形而上学、さらにはキリスト教と変わりません。ニーチェは、世界に意味を求めようとする試みそのものを批判しました。これまで人々が求めてきた意味には、三つの側面があります。

 第一には、この世界には確固とした目的があり、世界はそれに向かって進んでいること。キリスト教における、神の計画や愛に満たされる世界も目的でした。カントにおける道徳律と意志の一致も、ヘーゲルにおける世界精神の自己実現も目的です。

 第二には、世界にはなんらかの秩序があり、統一的な組織体であること。秩序があるからこそ、われわれは安心して、その一部であることができます。いいかえれば身を任せることができるのです。キリスト教では神が世界に秩序を与えていますし、カントやヘーゲルも世界を統一した組織体として捉えようとしました。

 第三には、この世界は移りゆく仮りの世界にすぎず、どこか超越したところに、真の世界が存在するはずだということ。キリスト教はこれを神の国と呼びました。カントにとっては道徳と意志が一致したときが、ヘーゲルにとっては世界精神の自己実現が完了したときが、真の世界でした。

 こうした、世界に意味を求める試みは、裏を返せば、現実世界の苦悩から逃れようとする試みにほかならない、とニーチェはいいます。つまり、苦悩に満ちた生から目を背け、心に描いた「真の世界」に逃げ込んでいるというのです。しかし十九世紀後半になると、苦悩からの逃げ場になっていた「真の世界」の存在が疑問に思われてきました。

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第十四講 新しい神話⑤

キリスト教批判

 人間は社会的な存在です。自分ひとりで生きているわけではないので、他人のことを考えなければなりません。それが道徳(人倫)です。

 他人のことを考えるというのは、他人に危害を加えたり、他人から勝手にものを奪ったり、他人を不当に扱ったりしないということになるでしょう。しかし、そうしたルールさえ守っていれば、自分を大切にしてもいいはずです。さらには、自分の知力、体力、財力を存分に発揮してもいいはずです。知能に自信がある者なら立身出世に、性的魅力にあふれた者なら異性との関係に、財産のある者なら新たな事業開拓に。

 他人へ配慮しながら、自分の能力に誇りを持ち、これを伸ばそうと努めることを、ニーチェは「君主道徳」と呼びました。君主道徳は「高貴な者」の道徳です。「高貴な」といっても、たんに経済的に裕福な、という意味ではありません。イメージとしては、騎士道精神をもった貴族のように、世俗的な力も持ちながらも心の持ち方が気高い者、と言った方がいいでしょう。そういう彼らが抱くのは「充実の感情、溢れるばかりの力の感情、高い緊張の降伏、贈り与えようと望む富の意識」(ニーチェ『善悪の彼岸』)です。「高貴な者」は、みずからの生を是認するからこそ、自分の行動に責任をとります。みずからの生に誇りを持っているからこそ、卑怯な振る舞いを決してしません。みずからの力が充実しているからこそ、充満した力が溢れるように、自然な心で弱き者に手を差し伸べます。

 君主道徳では、力ある者が高貴な者であり、善きことを体現する者でした。しかしこれとまったく反対の考え方をする道徳があります。つまり、力ある者(強者)は悪であり、力なき者(弱者)が善である、と考える道徳です。強者には狼のような肉食動物が、弱者には羊のような草食動物が例えられます。肉食動物にはライオンもいますが、あえてずる賢いイメージを持った狼が例えられます。自分たちは羊であり、羊が苦しんでいるのは、狼にいつも襲われるからだ、と考えます。悪い狼のために、自分たちは苦しまなければならないと考えるのです。

 自分たちを支配する者には、現実の世界では対抗できません。そこで、精神的な世界で現実世界の復讐をしようとします。それが、「力ある者は悪であり、力なき者が善である」という、君主道徳の価値判断を逆転させたものです。ニーチェはこれを「奴隷道徳」と呼びます。「貧しい者、力のない者、賤しい者のみが善い者である。高貴にして権勢ある者こそが、永遠に悪い者、残酷な者、淫欲な者、神に背く者である。また永遠に救われない者、呪われた者、地獄に堕ちる者であるだろう」(ニーチェ『道徳の系譜』)。奴隷道徳は、弱き者が精神的な世界で強き者に復讐するという心理から起こりました。やがて現実世界においても奴隷道徳が支配的になると、「高貴な者」は力があるがために、かえって負い目を感じなければならなくなりました。強き者はその力を封じられ、誇りを失います。力が充満しているからではなく、「隣人愛」という義務感に強制されて、弱き者や凡庸な者を助けます。奴隷道徳は、羊(弱き者)が狼の牙を抜き、狼(強き者)から身を守って生きていくための論理でした。

 ニーチェは、キリスト教の道徳は奴隷道徳にほかならない、と批判します。キリスト教では、さらに人間の自然な生を否定する論理が組み込まれます。神は、みずから受肉してイエス・キリストとして降臨し、人間のすべての罪を背負って十字架に磔になりました。神は、人間を愛するあまり、人間の罪を贖うために、みずから苦しみを受けました。そこまでしてくれた神にたいして、もう人間は決して返済することのできない債務を負ったのです。神にする負い目は、そのまま人間にとっての拷問具となりました。

 人間は、食欲や性欲など動物的本能、所有欲や権力欲など人間固有の欲望から逃れることはできません。キリスト教は、こうした本能や欲望とは無縁の存在である神を人間の債権者に仕立て上げました。本能や欲望は、神にたいする負い目になってしまったのです。キリスト教は、人間の自然な姿、本来の生を否定し、はてしなき責め苦にしました。これは、「おのれ自身を救われがたいまでに罪あるもの呪われるべきものと見ようとする人間の意志である」(『道徳の系譜』)。これはもう嗜虐的倒錯であり、「意志の錯乱」だといっても過言ではありません。はじめは強者だけに向けられていた奴隷道徳は、弱者へも向けられるようになります。すべての人間がおのれの生を呪い、おのれの生を否定するようになりました。自分が苦しんでいるのは、だれのせいでもなく、自分が罪を負っていると考えるからです。そのためキリスト教(とくにカトリックとルター派)では、自分を苦しめる現実と正面から闘い、これを変えようとする努力には否定的です。むしろ、ひたすら禁欲的に耐え、現実の世界ではなく神の世界で救われることを求めなければならなくなりました。それは、神の世界こそが罪から免れた、真の世界とされたからにほかなりません。

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第十四講 新しい神話④

ソクラテス批判

 ギリシア悲劇は、詩(セリフ)と舞踏というアポロン的な世界と、合唱というディオニュソス的な世界との調和がとられた芸術でした。しかし、ひとりの智者によって、ギリシア悲劇の調和が壊されます。

 ソクラテスは、アテネの政治家・雄弁家・芸術家たちを訪ね、彼らに徳や善について尋ねます。しかし彼らは、徳や善そのものを語ることはできませんでした。彼らは確かな見識を持っているわけではなく、小手先の弁論技術を使って知恵があるように見せかけ、その実は、本能や習慣にしたがって判断しているにすぎません。そこでソクラテスは、自分が何も知らないということを知っている点で、彼らより智者であると認めたのでした。

 ソクラテスは、本能や習慣による判断を否定し、知性(理性)を用いて推論することによって、物事の本質を観ようとしなければならない、と説きました。ソクラテスが唱えた、ひとつひとつ推論していけば必ず本質にたどり着くという、楽観的な知性主義(主知主義)は、プラトンによって継承された後、西洋哲学の本流になりました。これに対し、あるがままの生や本能の衝動は、非知性的なものとして長らく蔑まされてきました。目の前にある実在の背後に、理想型の存在である本質があると考えられ、実在は本質の影、出来損ないの不完全なものに貶められました。知性(理性)のみが、実在の背後にある本質までさかのぼることができるとされました。アポロン的な世界のみが光とされ、ディオニュソス的世界は葬り去られたのです。

 ソクラテス、プラトンの楽観的な主知主義は、やがてカントによって批判されます。すなわち、人間の理性は経験に基づかないものまでは、知ることができません。ものの本質、あるいはわれわれの外部世界そのもの(物自体)は、全知全能である神にしか見えません。また、神や霊魂についても、人間の理性が及ぶ限界を超えた判断だとして、カントは理性を働かせる領域から退けました。しかしカント以降、哲学に代わってこんどは科学が、向こう見ずな楽観主義を引き継いだのです。そしてニーチェの時代、十九世紀末になると、その科学もようやく限界に到達していました。

 近代哲学や近代科学に目を向ける前に、ディオニュソス的な世界が持っていた「生の是認」という概念を否定した、もうひとつの思想を取り上げましょう。

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第十四講 新しい神話③

生の是認

 フリードリヒ・ニーチェは、一八四四年、ルター派教会の牧師の家に生まれました。ルター派教会は、信者に対し、人間の外部である体制への順応と、人間の内面における禁欲とを求めます。その家庭で育ったことが、ニーチェに、小市民的なドイツの民族性と禁欲主義的なキリスト教の道徳を批判的に見る目を植え付けました。

 学生時代に古典文献学を専攻した彼は、バーゼル大学教授になって三年目の一八七二年、処女作『悲劇の誕生』を発表しました。このなかでニーチェは、ギリシア芸術を二つのタイプに分けています。ひとつは、生き生きとした肉体を表現した彫刻や、計算されつくした精緻さと美しさを誇る建築、さらには運命に対する深い洞察と人間描写に優れた詩といった造形芸術です。彼はこれらを、知恵と芸術の神アポロンにちなんで「アポロン的芸術」と呼びました。造形芸術では、芸術家に湧き起こった創作意欲から、形ある作品が生まれます。突き上げる衝動には、形がありません。衝動に、形すなわち秩序を与えるのが、芸術家の知性です。すなわち芸術家は、創作意欲という自分の生や、これをとりまく世界に秩序を与え、秩序化された世界の一部を切り取って、個別具体的な形にしているのです。

 しかしギリシア芸術は、アポロン的芸術ばかりではありません。全盛期のアテネで秀作が次々に上演されたギリシア悲劇には、造形芸術とは別の要素がありました。ギリシア悲劇は、セリフである詩と、形式美が追求された舞踏のほかに、合唱団を含んでいます。ニーチェは、合唱団こそギリシア悲劇の起源だといいます。合唱には形がありません。合唱は、人間を熱狂させ恍惚とさせます。形がないから、世界は秩序化されません。恍惚となった人間は、あるがままの、まるごとの自然と一体化できるのです。この非造形芸術をニーチェは、酒と陶酔の神ディオニュソス(ローマ神話のバッコス)にちなんで、「ディオニュソス的芸術」と呼びました。

 人間は狂喜によって、人間個体としての限界を忘れ、生の苦悩を忘れます。自然や神と一体となった人間は、神の近さを感じ、世界の力を感じ取ることができます。詩や舞踏といったアポロン的な要素だけでなく、音楽というディオニュソス的な要素を持ったギリシア悲劇によって、ギリシア人は苦悩から救われ、生きる活力を得てきました。その典型が、ペルシア戦争勝利後のアテネ絶頂期に活躍したアイスキュロスの作品『縛られたプロメテウス』です。

 プロメテウスは、主神ゼウスによって滅ぼされた巨人族の生き残りでした。彼は、神々から火(文明の象徴)を奪って人間に与えます。怒ったゼウスは、プロメテウスを岩に縛り付け、鷲に彼の肝臓を食いちぎらせました。神々と同じような生命力を持つ彼の肝臓は、夜の間に元通りになってしまいます。そのため鷲は毎日プロメテウスの肝臓を食いちぎり、彼はそのたびに苦痛を味わうことになるのです。また神々の怒りは、人間にも振り下ろされます。人間は火を手に入れたことで、自然におびえる存在から、高邁な向上心をもった存在へと飛躍できました。その人間に対しゼウスは、人類最初の女パンドラを送り込み、人間にありとあらゆる禍い、苦渋と悲哀をもたらしました。

 しかしどんなに苦悩に満ちた生であっても、おびえた存在よりはましです。たしかに、神々から火を盗んだという「原罪」は背負わなければなりません。アポロン的正義の観点からいえば、そのとおりです。しかしこの正義を突き抜けて、高く舞い上がろうとするデュオニソス的衝動が、苦悩を認めさせ、生を是認させます。「これが君の世界なのだ!これが世界というものなのだ!」と。

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第十四講 新しい神話②

世紀末のヨーロッパ

 十九世紀も終わりに近づいたころ、ヨーロッパ主要国は拡大と発展の一路をたどっていました。イギリスはビクトリア女王の治下で、アフリカ、インド、中国に植民地や租借地を持ち、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの英連邦諸国を合わせると、まさに世界帝国にふさわしい経済力を誇っていました。フランスもナポレオン三世の第二帝政、それに続く第三共和政は、都市の整備、鉄道・電信網の拡張を積極的に進めます。また革命百周年を記念して開かれたパリの万国博覧会では、エッフェル塔が建てられ、その規模とともに世界の注目を集めました。プロイセン王国によって統一されたドイツ帝国は、オーストリアやフランスとの戦争で圧倒的な勝利を収めて成立しただけに、ヨーロッパ最強との自負があります。兵力だけでなく、重工業を中心とする資本主義経済も、イギリス・フランスを急追していました。

 政治・経済の発展に加えて、化学、物理学、天文学における科学上の新発見、汽車、汽船、自動車などの技術的な進歩は、人々を人類の力について楽観的にさせました。同時に、ソクラテス・プラトン以来の哲学が求めてきた、世界に意味を与える完全な存在、あるいはキリスト教が信じてきた、世界を創造し計画に従って動かしている神は、肥大化する人類に圧倒され、影を薄くしていったのです。

 しかし、経済の発展の裏で、貧富の差は大きくなり、植民地からの収奪はますます激しくなります。成り上がりの資本家に合わせて、俗物化していく「芸術」もあります。そのような世界を悲観的に、懐疑的に観る人々が現れました。また、小市民的なモラルを軽蔑し、かえって彼らが目を背けるような性描写、嫌悪感を覚えるような退廃趣味をモチーフにする芸術家が現れました。

 十九世紀末のヨーロッパは、こうした楽観主義と悲観主義、進歩主義と懐疑主義、モラルとデカダンスが交錯しながら、新しい価値観を生み出そうと悩み苦しんでいたのです。ショーペンハウアーは、楽観や進歩にたいするアンチテーゼを先取りした人間でした。そして彼のペシミズム(悲観主義)を継承し、ヨーロッパを新しく生まれ変わらせようと格闘する哲学者が登場します。

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第十四講 新しい神話①

厭世の哲学

 ナポレオン一世がワーテルローで敗れて歴史の表舞台から姿を消した後、ヘーゲルは哲学の世界で確固たる地位を築いていきました。一八一八年にベルリン大学の教授に就任してからは、ヘーゲル学派はドイツ思想界の本流になります。ベルリン大学におけるヘーゲルの講義は、つねに学生たちで満員になるほどの人気を博していました。

 ところが一八二〇年、ひとりの若き哲学者が、人気絶頂のヘーゲルに無謀な挑戦をしました。前年に『意志と表象としての世界』を世に出したばかりの、ショーペンハウアーです。彼はベルリン大学講師の職を得ると、自分の講義時間をヘーゲルと同じ時間にぶつけました。挑戦の結果は明らかです。彼の講義を聴きに来る者はだれひとりとしてなく、ショーペンハウアーは半年で辞職します。そのまま彼は、思想界からまったく無視されました。彼が世の中に注目されるようになるのは、それから三十年以上もたってからです。

 ショーペンハウアーは、ヘーゲル哲学とは違った形で、カントの哲学を発展させようとしました。カントは、われわれが認識する世界と、世界そのもの(「物自体」と呼びます)とを区別しました。われわれが自分の意識の外側、つまり自分の身体を含めた外部世界を認識するとき、先ず、身体の五官が感じた現象としてとらえます。そのとき、われわれには時間と空間の概念が備わっていますから、外部からの刺激である感覚をもとに、あるときにある場所であるものがある(いる)ことが分かります。これを「感性」の働きといいます。その後、数を数えたり形や色を見たり、原因や関係を考えたりしながら整理・再構成することで、「あるもの」が何かを認識します。これを「悟性」の働きといいます。

 たとえばわれわれがリンゴを見るとき、リンゴの形や色を視覚でとらえるのが感性で、「赤い」「果物」で「これまで見たことがある果物に照らして」リンゴであると考えたり、「三個ある」と数えたりするのは悟性です。これらの働きで、われわれは「今、私は三個の赤いリンゴを見ている」と認識するのです。しかしそれは私が認識した限りのリンゴであって、リンゴそれ自体を本当に認識しているのかは判断できません。しかし、人間の感性や悟性は、人によって大きく変わらないので、私が認識するリンゴとあなたが認識するリンゴとはおそらく同じである可能性が高いと言えます。だからこそ、人間はお互いに会話をすることができるのです。ただ、人間は感性や悟性といったフィルターを通して認識するだけであり、「物自体」を認識することはできません。

 ショーペンハウアーは、われわれが認識する世界を「表象としての世界」と呼び、われわれの形式によって切り取られた表象(心に描く像)にすぎないと考えました。ところで、われわれの身体を思い浮かべてみましょう。われわれの身体は、われわれの意識によって動かすことができます。同時に、われわれが意識しなくても動くことがあります。一番分かりやすいのは呼吸です。自律神経系による動きは、大脳の指示によるものではありません。とっさに身をかばうという動作も無意識で行われるものです。つまり、われわれの身体には「生きよう」とする意志が働いているといえます。われわれの意識のすぐ外側にある身体に意志が働いているとすれば、われわれが認識する表象すべてに意志が働いているのではないか。そうであれば、われわれが切り取ろうとする対象の世界には、なにか意志が働いていて、世界そのものを突き動かそうとしているのではないか、とショーペンハウアーは考えました。突き動かすとはいっても、ヘーゲルの「精神」が自己実現をめざすように、はっきりした方向性があるわけではありません。ショーペンハウアーが考えたのは、衝動的な力を発する意志でした。カントの言う「物自体」を、衝動的に働く意志ととらえたのです。

 この意志は、当然人間にも働きかけます。方向性を持たない衝動ですから、人間にとっては自分を振り回す気まぐれでしかありません。人間は、世界そのものの意志に振り回されます。別の表現を使えば、運命に翻弄されるのです。その運命は、何の計画性や方向性もないのですから、人間にとっては苦悩でしかありません。こうした世界を、ショーペンハウアーは「可能なもののうちで最悪の世界である」と考えました。「全知全能にして善良なる神が創造したこの世界は、可能なもののうちで最善である」というキリスト教の伝統的な考え方とは、まったく逆の考えです。ショーペンハウアーによれば、苦こそ世界の本質なのです。世界に対して徹底的に悲観的な彼の哲学は、厭世の哲学と呼ばれます。

 ショーペンハウアーは、人生の苦悩から逃れるのに二つの方法があると示唆しています。ひとつは、美しい芸術に触れることよって、自分を翻弄する意志を忘れ、苦悩を忘れる方法です。美しい芸術に感動しそれに浸ることで、喜びすら感じます。しかし、芸術による苦悩の癒しは一時的なものでしかありません。もうひとつは、持続して忘我できる境地を開き、苦悩も意志も否定する方法です。そこにはもはや、キリスト教の神によって魂が救われるという救済論はありません。むしろ、神を想定しない仏教が、我を空しくすることで煩悩から救われることをめざすのに近いでしょう。

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第十三講 人間性回復の闘い⑨

「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」と「フランスの内乱」

 一八四八年末から五一年末にかけてフランスで起きた一連の出来事について、マルクスは、ヘーゲルの言葉を借りてこう表現しています。「すべての世界史的な大事件や大人物は二度あらわれるものだ。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」。悲劇はナポレオン一世、茶番はシャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルト、のちのナポレオン三世でした。

 ルイ・ボナパルトは、ナポレオン一世の弟の子です。ナポレオンがヨーロッパを支配していたときに、彼は生まれました。ルイ・ボナパルトも、オランダの王子として幼児期を過ごしました。しかし彼が生まれた年から、ナポレオンの栄光にかげりが見え始め、ナポレオンの没落とともに、彼の一家も「王家」から転げ落ちました。

 ルイ・ボナパルトは、反逆者としてフランスの政治史に登場します。ルイ・フィリップの王政(七月王政)の転覆を試みますが、逮捕されてしまいます。軟禁生活を逃れた後はイギリスへ渡り、帰国の機会をうかがっていました。

 七月王政を倒した一八四八年の二月革命が、ルイ・ナポレオンの再出発となりました。九月の選挙で立憲議会議員に選出されると、十二月の大統領選挙に立候補します。あらゆる階層の人間が、彼の背後に、偉大な皇帝ナポレオン一世を見、自分たちの希望をかなえてくれるのではないかと期待しました。王党派や大資本家は、保守的な秩序を期待します。小ブルジョワジーである市民は、自由と平等を期待します。農民たちは、自分の財産を保全してくれることを期待します。そして労働者は、貧困の根絶を期待したのです。結果は、ルイ・ボナパルトの圧勝でした。

 就任から三年経った五一年、伯父が帝冠を戴いたのと同じ十二月二日、ルイ・ボナパルトはついにクーデターを起こします。議会を解散し、政治の全権を掌握しました。伯父も一七九九年十一月九日(革命暦ブリュメール十八日)のクーデターによって、独裁的な権力を手中にしています。そして一年後、伯父の戴冠から四十八年目に当たる日に、ルイ・ボナパルトは、フランス皇帝ナポレオン三世となりました。

 ナポレオン三世の帝政には何の理念もなく、幅広い階級に場当たり的な対応を取るだけの、まさに茶番そのものでしたが、経済的な繁栄の時期と重なったおかげで、伯父よりも長く政権の座にいることができました。しかし、七〇年、ドイツ統一間近のプロイセン王国に宣戦し、わずか二ヵ月足らずで降伏し、第二帝政は終わりを告げました。

 翌年三月、プロイセンに屈服することに屈辱を感じたパリ市民は、権力の空白期に乗じてパリ・コミューンの樹立を宣言します。コミューンは、立法・行政・司法の三権こそ集中していましたが、急進的ではありませんでした。私有財産も否定されることなく、改良主義的な政策が練られています。経営者のいなくなった工場では、労働者の自主管理が試みられました。職業教育や婦人教育も検討されました。人々は、新しい社会を建設するエネルギーに溢れてました。「労働し、思索し、闘争し、血を流しつつあるパリは、新社会を孵化させようとして、その歴史的創意の感激の喜びに輝いていた」のです。

 しかし、ベルサイユの政府が着々とコミューン弾圧の準備を進めているあいだ、コミューン側はなんの手も打っていませんでした。五月二十一日、十三万のベルサイユ軍は、パリに突入します。ナポレオン三世のパリ大改造によって、道幅が広げられ、区画が整理されたパリは、もはや市街戦には不向きでした。二十九日までの「流血の一週間」で、二万五千人が虐殺されます。コミューンはわずか七十三日で命を終えました。翌三十日、マルクスは「労働者のパリは、そのコミューンとともに、新社会の光栄ある先駆者として、永遠に讃えられるであろう」と鎮魂の宣言を読み上げています。

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第十三講 人間性回復の闘い⑧

人間性の回復を求めて

 マルクスは、自己の可能性を実現する本来の労働を奪われた個人個人が、社会や歴史、いいかえれば人間の類的本質という「全体性」「一体性」へ回帰することをめざしました。これは、「神への知的な愛」を求めたスピノザに通じるものがあります。神(自然)があらゆる存在を包み込んでおり、個々の人間にとって、全存在との関連性を直観(思考によることなく、心が直接に知的に把握すること)したときの喜び(すなわち神への知的な愛)が魂の救いである、とスピノザは考えました。そもそもヘーゲルのいう「精神」が、スピノザの「自然」に近いものでした。フォイエルバハがヘーゲルの「精神」に血肉を通わせ、「類的本質」と呼びました。マルクスはフォイエルバハの人間観を受け継いだのですから、彼の思想がスピノザを連想させる要素があるのは、当然のことでしょう。

 では、どうしたら人間が人間らしさを取り戻すことができるのでしょうか。どうしたら類的本質に回帰できるのでしょうか。残念ながらこの回答に、マルクスは多くを語っていません。

 マルクスは、私有財産制度を否定し、共産主義社会、つまり土地と生産手段を共同で占有する社会を理想と考えていました。しかしそれは、国家による独占的所有とは異なっていました。もし生産手段が国家によって所有され、労働者はあいかわらず賃金労働者として働かされるのなら、それは私的な資本家が、国家という公的な「資本家」に代わっただけです。土地や生産手段などが共同で占有されるのは、あくまでも私的な占有を避けるためでした。狩猟採取時代や農耕文明の初期段階では、労働の対象となる自然を共同利用していました。これと同じように、新しい理想社会の生産者は、私的に占有されない対象に働きかけ、生産するのです。生産活動は、個人の自己実現であるから、その人間の可能性、すなわち能力に応じて行われます。一方成果物は、必要な分だけ生産者が受け取り、残りは社会が享受します。労働時間に応じて分配する、というのは形式平等主義である、とマルクスはいいます。そして形式平等こそ、ブルジョワが支配する社会のルール、商品交換が中心である市民社会のルールであり、新しい社会が乗り越えなければならない課題だと考えていました。

 しかし、マルクスが理想とする共産社会が、どのようにして実現するのか、まったく分かりません。今日あるような社会主義国家が、理想社会への過渡的形態でないことは明らかです。旧ソ連や中国において、共産党が政権を独占し、国家によって農業の集団化や工業の国有化が行われたことは、近代化の遅れていた社会が、短期間に資本蓄積を図るためには、ひとつの有効な手段ではありました。しかしそれは、政治的には共産党指導者の独裁政治や個人崇拝を生み、経済的にはとくに消費財の生産性の低さや技術革新の遅れを目立たせる結果に終わりました。

 人間性を回復できる、人間が労働の対象に「類的本質」を刻みながら自己実現を図り、他者と無限の連鎖でつながっていける、そのような社会にはどうしたら近づけるのか。マルクスが設けた問題の多くは、そのままわれわれに残されているのです。

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第十三講 人間性回復の闘い⑦

ブレーキのないシステム

 資本は自己増殖を続けます。拡大再生産をめざして資本投下が続けられるためには、利益(利潤)を生み出さなければなりません。ですから資本は、利益を生み出す、しかもより大きな利益を生み出すビジネスの機会へ、貪欲に注ぎ込まれます。資本が行き場を失わないように、利益を生み出すビジネスの機会も、つねに作り出されなければなりません。ビジネスの機会は、人々の需要があるところです。最終製品の材料や部品になる生産物も、最終製品の需要に左右されます。

 需要には、生活必需品として喚起される需要と、嗜好品の需要があります。嗜好品の需要は、自分の地位を誇示したいとか、他人に対して優越感を得たいといった理由ですから、作られた需要といえます。しかし生活必需品も、時代とともに技術の進歩とともに変化します。テレビや携帯電話は、かつては必需品ではありませんでしたが、いまや生活に「なくてはならないもの」と言えます。つまり、本当に生きるために必要なもの以外の商品の需要は作り出されたものです。資本は、人々の需要を作りだし、人々の作られた欲求が、資本を増殖させます。人々は「必要なもの」を手に入れるために、財産を売り、財産がなくなると、賃金労働者として資本の支配下に入ります。労働者は、一方では労働力の提供者として、また一方では商品の購買者として、二重の意味で、資本の自己増殖過程に貢献するのです。しかし、本当に彼らにとって必要なものだったのかどうかは、もはや判断されません。資本主義というブレーキのないシステムが、社会全体に浸食していくだけです。

 こうして、「なぜ封建的な身分制度が否定された後も、資本家という市民が、労働者という別の市民を支配するのか」という問題の答えとなる仕組みが明らかにされました。もちろん、資本家階級と労働者階級の区別は、少なくとも今日の先進国ではあてはまりません。ふたつの階級を設定するところに、マルクスの歴史的な限界があるように見えます。たしかにマルクスは、株式資本が幅広い層の人々によって所有されるだけでなく、投資信託や生命保険を通じて個人が間接的にも株式を保有する時代を予見できませんでした。現代では、人々はかつての労働者ではありません。被雇用者(従業員)であると同時に、持ち株会を通じての株主でもあります。しかも従業員のなかから、雇用者(経営者)が選抜されます。また、創業者一族が役員になる例を除けば、大株主だからといって経営者になるわけでもありません。会社は、株主や債権者だけのものではなく、経営者や従業員、さらには地域社会も「ステイクホルダー」として、その利害が考慮に入れられます。しかしマルクスも、すでに彼の時代、私有財産を占有する資本家という初期資本主義の形態が崩れつつあることを観ており、株式会社が資本家による資本所有を弱め、社会による資本所有に近づくものと考えていました。

 マルクスの指摘が現代社会にもつ意義は、階級闘争などの歴史性による限界にいささかも損なわれるものではありません。彼は、人間にとっての生産活動のあり方から出発して、人間と社会や歴史、普遍的な他者との関わり方を説きました。そして、労働が人間にとって苦痛でしかなくなるときに、人間もその本質、類的本質を失ってしまうことを説いたのです。マルクスも、「奴隷労働、賦役労働、賃労働といった労働の歴史的形態おいては、労働はつねに忌み嫌われる」と認めています。同時に、彼のめざす労働(生産活動)が、娯楽のようなものではないことも、はっきり述べています。自己実現を図る生産活動、したがって真に自由な労働とは、例えば作曲活動とか、ボランティアの医療活動のように「きわめて真剣な、極度の緊張をともなう努力」なのです。

 また、資本が自己増殖過程で作り出す、人々の欲求にも警鐘を鳴らしています。本当に必要なものなのか、煽られた欲求ではないのか。人間がなによりも、自然のなかの存在であることを忘れてはいないか。資本主義がブレーキのないシステムであることは、今日でも変わっていません。それどころか、ますます巨大になり、グローバルな規模であらゆる人々を市場経済に巻き込んでいます。人間が人間らしさを取り戻すためには、資本主義というシステムを外から制御しながら、使いこなすしかないでしょう。

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第十三講 人間性回復の闘い⑥

疎外された労働

 ところがマルクスが生きていた時代、現実はまったく異なっていました。十八世紀にイギリスで始まった産業革命は、生産のあり方を、それ以前の形態と大きく変えてしまいました。産業革命前は、国民の圧倒的多数は農民で、穀物を作り、家畜を養い、衣料を織っていました。農民は、自分の土地で作った物の一部を年貢として納めたり、貴族や僧侶が所有する土地で小作人として働いて生産物の一部を小作料に当てて支払ったりしていました。都市には職人がいて、都市の住民たちのために手工業を営んでいましたが、社会全体の生産活動はいぜんとして農業が主体で、都市の手工業はあくまで補完的なものにすぎなかったのです。

 産業革命以前の経済では、支配階級が生産者から受け取った年貢や小作料は、支配階級の生活費、あるいは戦争や城館の造営・増築に使われていました。そして農民は、いつの時代でも「生かさず殺さず」のぎりぎりの生活を強いられていました。たしかに、善政を敷く封建領主が現れて、収入の一部を灌漑工事や流通用河川の整備に使って、生産量を増やそうとすることはあります。いうなれば、生産拡大のための設備投資です。しかしそれは、領地を富ませ、軍事力を含めた他の領主との力の競争に負けないための手段でした。生産量の拡大そのものを目的として、継続的に投資することはありませんでした。

 産業革命後は、元手を持った資本家が、資金を工場や機械設備などへ投資し、労働者を雇い入れて生産するようになります。商品を生産し、これを販売した売上げから、労働者への賃金、材料費、機械設備の買い替えのために取っておく分(減価償却費)などを差し引いた残りは、資本家の利益になります。ところが、資本家は封建領主と異なって、利益を自分の生活のために使いきろうとはしません。利益は、資本へ継続的に投下され、拡大再生産が図られます。むしろ資本家は、貴族や僧侶と異なって、きわめて禁欲的でした。彼らは、かつての支配階級に比べてはるかに質素な生活を送り、ひたすら資本の拡大に努めていました。そもそも産業(インダストリ)とは、ラテン語で「勤勉」を意味しています。こうして資本家が拡大再生産に励んだために、資本主義経済と呼ばれる生産形態が社会全体の経済活動に占める割合は、急速に大きくなっていきました。

 しかし労働者は、どれほど多くの物を生産しても、決まった賃金しかもらえません。機械設備の改善によって、生産性が上がれば上がるほど、生産物に対する労働者が取る割合は少なくなります。しかもマルクスが生きていた十九世紀は、資本家間の競争激化のために、実質賃金は漸進的に低下傾向にありましたから、割合だけでなく絶対額においても、労働者の手元に残る物は、ますます少なくなっていました。労働者は、生産しても成果物を手にすることなく、自分の力の及ばないところへ引き離されてしまうのです。

 労働者にとっては、生産活動の対象である材料や生産設備も、他人(資本家)から与えられたものです。賃金労働者である彼らは、何も持ちません。材料や設備は、資本家によって与えられ、労働者は、自分の制御の及ばない対象に対して、労働力のみを提供します。本来、自然のなかの存在として、自然または人間化された自然を対象としていた人間ですが、労働者にとって生産活動の対象は、自分と他者との関係の連鎖からは断ち切られたものになっていました。

 さらに、労働者にとって、いまや労働は苦痛以外のなにものでもなくなってしまいました。人間にとって生産は、自己の可能性の実現であり、普遍的な他者との関わりであり、そうした意味で喜びのはずでした。ところが労働者は、労働していないときにこそ安らぎを得ます。それは労働が、彼らにとって自発的なものでなく、強制されたものだからです。労働が、眠るとか食べるとかいった最低限のものから、シャレた服を買いたいという「贅沢」まで、さまざまな欲求を満たすための手段にすぎないからです。人間の類的本質を実現するはずの生産が、肉体的生存の手段という動物的な行為に成り下がってしまったのです。労働によって、労働者は自己犠牲を強いられていると感じます。ついには、労働が自分ものではなくて、他者のものであると感じざるをえなくなります。そのときの「他者」は、人間が、人類の可能性を実現する過程で関わり合う他者ではありません。自分とは疎遠な、自分から労働を、そして人間の本質を奪い取ってしまうような「他者」です。

 資本の継続的投下によって、生産力はますます強大になり、労働者ますます多くの生産物を生み出します。しかし労働者は、彼らの生産物を享受することができません。むしろ、生産活動は労働者にとって、苦しみでしかありません。ではだれが、彼らの生産活動と生産物を享受しているのでしょうか。労働者の生産活動は、だれの喜びに、だれの自己実現になっているのでしょうか。マルクスはこう言います。「神々ではなく、自然でもなく、ただ人間そのものだけが、人間を支配するこの疎遠な力であることができるのである」。つまり、労働が疎外されているからこそ、労働にとって疎遠な、労働の外部に立つ人間すなわち資本家の、労働者にたいする支配関係が生まれるです。

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第十三講 人間性回復の闘い⑤

社会的そして歴史的な人間

 多くの動物は群を作ります。ヒョウのような孤独なハンターもいますが、集団で行動する動物の方が多いです。人間もまた、本能的に仲間を求めます。家族や友人など、自分以外の他者と一緒にいたいというのは、群を作る本能です。しかし動物が仲間どうしで作る関係と、人間どうしの関係とは、まったく異なっています。

 動物にも、親子関係があります。女王蜂と働き蜂のような階層関係もあります。しかし動物どうしの関係は、本能で決められた互いの役割から自由ではありません。例えば、親は子にエサを与え、巣立ちを教えます。それは「親」という役割を、本能にしたがって、子に対して果たしているにすぎません。エサを与えるという行為を、自分の子ではない別のヒナ鳥に対して、意識的に行うことはできません。もっとも、たまたま自分の巣の中にいた他の鳥のヒナを自分の子と間違えてエサをあげることはありますが、意識的に他の取りのヒナに(例えば、わざわざ他の巣へ行って)エサをあげることはありません。これに対し人間は、自由に他者と関係を結ぶことができます。子育ての例でいえば、人間は子供を育てるという行為を、本能的ではなく意識的に、自己実現のひとつとしてとらえることができます。ですから、子育ての対象を自分の子供に限る必要はありません。いいかえれば、特定の人間(子供)ではなく、普遍的な人間(子供)を対象にすることができます。対象が自分の子供ではないと自覚しながらでも、自分の子供に対するように教育することができるのです。

 人間が働きかける対象は、特定の他者に限られないことは言いました。同様に、人間が生産したものを提供する対象も、特定の他者ではないと言えます。食物を作るとき、特定の人間に与えるために作っているとは限りません。おいしく食べてくれる人なら、誰でもいいはずです。音楽を作曲したり、小説を執筆したりするのは、動機が特定の人物に捧げられたものだとしても、できあがった作品はその人だけに提供されるものではなく、作品を聴こう、読もうと思う人ならだれにでも享受できるものです。

 人間は、普遍的な他者に向けて、自己の可能性のひとつを具現化します。しかも、彼あるいは彼女が実現したのは特定の自分の可能性ではなく、「類的本質」を備えた存在としての人間の可能性です。その成果物(作品)を受け取り、自分のなかに吸収する人間にとって、生産者(作者)は会ったこともない人物です。ある人間が実現した、人間の可能性のひとつを、別の人間が吸収する。吸収した人間もまた、人間の可能性を具現化したものを作り出す。そしてそれを吸収する、さらに他の人間がいる。こうした無限に連鎖した関係によって、人間の社会は成り立っています。

 ある人間の成果物を、普遍的な他者が吸収するのなら、その普遍性は空間的(地域的)なだけでなく、時間的(時代的)な広がりを持つことができるでしょう。もちろん動物も、親の世代が作った巣を子供の世代が受け継ぐことがあります。しかし、もしその巣が壊れた場合、子の世代は親が作ったのとまったく同じ方法でしか作ることができません。子供は、親が出発したのと同じ所からしか始めることができないので、到達できる地点も同じなのです。人間は、親の世代の成果物に改良を加えることができます。親が具現化した人間の可能性に、新たな可能性を付け加えることができます。このように具現化された可能性の累積が、人間の歴史です。「類」としての人間が、時間的な広がりを持つことによって、歴史を作っているのです。

 人間が自然と関わり合うとき、普遍的な人間の可能性を実現します。人間が他者と関わり合うとき、それが同時代的な他者である場合でも、過去や未来の他者である場合でも、互いに人間の可能性を認めあい、享受しあっています。個々の人間には制約がありますが、社会や歴史のなかの人間は、人「類」の可能性を実現できる存在なのです。

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第十三講 人間性回復の闘い④

自己実現としての生産

 人間が対象とするものは、動物と異なり、普遍的な存在です。フォイエルバハはこれを人間の「類的本質」と呼びました。食料を求める場合でも、動物の対象は目に見える具体的な動植物ですが、人間は牛であれば目に見える牛を対象にするだけでなく、目の前にはない牛でも思い浮かべることができます。また人間は、対象を特定の目的にのみ使うのではありません。空気を吸うとき、動物はそこから酸素を摂取するだけですが、人間は空気の成分を分析の対象にすることもあります。さわやかな空気を詩に詠むこともあります。ですから、人間は自然のすべてを、自分の生命維持の手段としたり、科学や芸術活動の対象にすることができます。いいかえると、自然のすべての可能性を対象にしているのです。

 それだけではなく、人間は対象である自然に働きかけて、生産活動を行います。なるほど、動物も生産することがあります。蜂や蟻が、住居を造り、分業を行っていることも事実です。しかし動物は、ただ自分や自分たちの一族が生存するために必要なものを、本能的に生産しているにすぎません。一方人間は、肉体的欲求を押さえて、いわば肉体の衝動から自由になって、生産します。農耕という生産活動を例にとってみましょう。穀物の種をすべて消費するかわりに、田畑を耕して種を植え、収穫まで待つというのは、将来の食料を得るために、現在の食欲を押さえているのです。こうした迂回的行為を、本能ではなく、意識的に行えることが人間の生産活動が動物のそれと異なる点です。

 人間が、自然に働きかけるときは、自然のなかに秘められている可能性を意識しています。さきほどの農耕では、人間は穀物の種がもっている可能性を意識しています。種が植えられると、発芽して育ち、やがて実を結ぶことができる、という可能性です。

 人間が、自然に働きかけるときは、自然のなかに秘められている可能性を意識するだけではありません。自分自身の潜在的な可能性をも意識します。例えば、石を彫って芸術作品を創るとき、石が持っている可能性を引き出すと同時に、自分の中にある芸術的な才能を意識的に石に刻み込んで、潜在していた表現力を、石という媒体を使って具現化するのです。ですから人間の生産活動は、普遍的な存在である「私」から、ひとつの特殊具体的な可能性が取り出されて、対象のなかに現実的な「私」として現れる過程ともいえます。人間の生産活動は、特殊具体的な「私」が実現される、自己実現過程にほかなりません。

 こうして人間は、自然に働きかけることによって、自然の可能性を引き出し、自分の可能性を刻みつけます。人間が自然に働きかけることによって生み出された生産物が、具現化された人間の可能性であるならば、これらの生産物は、自然が人間化されたもの、つまり「人間化された自然」といえます。人間は、手が加えられていない自然だけでなく、この「人間化された自然」をも対象にします。この「人間化された自然」は自分が「人間化」したものとはかぎりません。いやむしろ、他の人間が「人間化」した場合の方が多いでしょう。そして「類的本質」を備えた人間が具体的な形を刻んだ自然には、「類」としての人間の可能性も秘められています。人間は、「人間化された自然」を対象にすることで、他の人間が具体的な形を与えた「類」としての人間の可能性を認め、それを自分のなかへ吸収している、ともいえます。

 自然を人間化するというと、人間による自然征服を肯定しているように聞こえます。自然への「刻み込み」は、自然破壊にもつながります。しかしフォイエルバハやマルクスは、人間が自然のなかの存在であることを忘れてはいません。人間と自然とは対立するものではありません。人間が自然のなかの存在であるからこそ、自然から制約を受け、それが人間の活力源ともなります。人間は自然に働きかけ、自然を人間化しますが、人間化された自然が新たな制約になります。例えば、森林は人間の農耕活動にとって制約になっています。そこで、人間が耕地を広げるために森林を切り開いてしまいますと、そのときは制約がとりはらわれたように見えます。しかし実は、それまで降雨の水分を吸収してくれていた森林がなくなったことで洪水を起こりやすくなり、農耕活動にとって新たな制約ができてしまっているのです。人間による一方的な自然征服ではなく、人間と自然の相互作用を、マルクスたちは重要だと考えていました。

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