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第十三講 人間性回復の闘い④

自己実現としての生産

 人間が対象とするものは、動物と異なり、普遍的な存在です。フォイエルバハはこれを人間の「類的本質」と呼びました。食料を求める場合でも、動物の対象は目に見える具体的な動植物ですが、人間は牛であれば目に見える牛を対象にするだけでなく、目の前にはない牛でも思い浮かべることができます。また人間は、対象を特定の目的にのみ使うのではありません。空気を吸うとき、動物はそこから酸素を摂取するだけですが、人間は空気の成分を分析の対象にすることもあります。さわやかな空気を詩に詠むこともあります。ですから、人間は自然のすべてを、自分の生命維持の手段としたり、科学や芸術活動の対象にすることができます。いいかえると、自然のすべての可能性を対象にしているのです。

 それだけではなく、人間は対象である自然に働きかけて、生産活動を行います。なるほど、動物も生産することがあります。蜂や蟻が、住居を造り、分業を行っていることも事実です。しかし動物は、ただ自分や自分たちの一族が生存するために必要なものを、本能的に生産しているにすぎません。一方人間は、肉体的欲求を押さえて、いわば肉体の衝動から自由になって、生産します。農耕という生産活動を例にとってみましょう。穀物の種をすべて消費するかわりに、田畑を耕して種を植え、収穫まで待つというのは、将来の食料を得るために、現在の食欲を押さえているのです。こうした迂回的行為を、本能ではなく、意識的に行えることが人間の生産活動が動物のそれと異なる点です。

 人間が、自然に働きかけるときは、自然のなかに秘められている可能性を意識しています。さきほどの農耕では、人間は穀物の種がもっている可能性を意識しています。種が植えられると、発芽して育ち、やがて実を結ぶことができる、という可能性です。

 人間が、自然に働きかけるときは、自然のなかに秘められている可能性を意識するだけではありません。自分自身の潜在的な可能性をも意識します。例えば、石を彫って芸術作品を創るとき、石が持っている可能性を引き出すと同時に、自分の中にある芸術的な才能を意識的に石に刻み込んで、潜在していた表現力を、石という媒体を使って具現化するのです。ですから人間の生産活動は、普遍的な存在である「私」から、ひとつの特殊具体的な可能性が取り出されて、対象のなかに現実的な「私」として現れる過程ともいえます。人間の生産活動は、特殊具体的な「私」が実現される、自己実現過程にほかなりません。

 こうして人間は、自然に働きかけることによって、自然の可能性を引き出し、自分の可能性を刻みつけます。人間が自然に働きかけることによって生み出された生産物が、具現化された人間の可能性であるならば、これらの生産物は、自然が人間化されたもの、つまり「人間化された自然」といえます。人間は、手が加えられていない自然だけでなく、この「人間化された自然」をも対象にします。この「人間化された自然」は自分が「人間化」したものとはかぎりません。いやむしろ、他の人間が「人間化」した場合の方が多いでしょう。そして「類的本質」を備えた人間が具体的な形を刻んだ自然には、「類」としての人間の可能性も秘められています。人間は、「人間化された自然」を対象にすることで、他の人間が具体的な形を与えた「類」としての人間の可能性を認め、それを自分のなかへ吸収している、ともいえます。

 自然を人間化するというと、人間による自然征服を肯定しているように聞こえます。自然への「刻み込み」は、自然破壊にもつながります。しかしフォイエルバハやマルクスは、人間が自然のなかの存在であることを忘れてはいません。人間と自然とは対立するものではありません。人間が自然のなかの存在であるからこそ、自然から制約を受け、それが人間の活力源ともなります。人間は自然に働きかけ、自然を人間化しますが、人間化された自然が新たな制約になります。例えば、森林は人間の農耕活動にとって制約になっています。そこで、人間が耕地を広げるために森林を切り開いてしまいますと、そのときは制約がとりはらわれたように見えます。しかし実は、それまで降雨の水分を吸収してくれていた森林がなくなったことで洪水を起こりやすくなり、農耕活動にとって新たな制約ができてしまっているのです。人間による一方的な自然征服ではなく、人間と自然の相互作用を、マルクスたちは重要だと考えていました。

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