梁惠王篇 七章②
斉の桓公と晋の文公は、春秋戦国時代の覇者の筆頭格です。「孔子の流れをくむ者は、誰ひとりとして桓公や文公のことを口のするものはおりません」とありますが、二人の事は「論語」にも、わずかながら出てきます(「憲問」十五、十六、十七)。ここは、儒教では、商の湯王や周の文王・武王といった王者の仁による政治の方が、覇者の力による政治よりも優れていると考えるため、覇者を目指すのではなく、王者を目指すように説いたことを言っています。
宣王は「私のような者でも、人民の生活の安定ができようか」と言っていますから、謙虚なところがあったのでしょう。また、優しい心も持っていたようです。この王なら仁政を行えるかもしれない。孟子はその期待をもって対話を続けます。
【訓読文】
いわく「何に由(よ)りて吾(われ)の可なるを知るや」
いわく「臣(われ)之(これ)を胡齕(ここつ=人名)より聞けり。王、堂上に坐(いま)せるとき、牛を牽(ひ)きて堂下を過ぐる者あり。王は之を見て『牛いずくにゆくか』ととえば、(側近の者が)対(こた)えて『将(まさ)に鐘にちぬらんとす』といえり。王いわく『之を舎(お)け。吾はその觳觫若(こくそくじょ)として罪無くして死地に就(つ)くに忍びず』と。対えていわく『然(しか)らば則(すなわ)ち鐘にちぬることを廃(や)めんか』と。いわく『何ぞ廃むべけんや。羊を以ってこれに易(か)えよ』と。識(し)らず。諸(こ)のこと有りしや」
いわく「有りしなり」
いわく「是(こ)の心、以って王たるに足れり。百姓(ひゃくせい)は皆(みな)王を以って愛(おし)めりと為(な)すも、臣は固(もと)より王の忍びざりしを知れり」
王いわく「然りや。誠に(かかる)百姓もあるか。斉国は褊小(へんしょう)なりと雖(いえど)も、吾なんぞ一牛を愛まんや。即(すなわ)ち其の觳觫若として罪無くして死地に就くに忍びず。故に羊を以って之に易えしなり」
いわく「王よ、百姓の王を以って愛むとなせるを、異(あや)しむことなかれ。小を以って大に易えたり。彼、悪(いずく)んぞ之を知らん。王、若(も)しその罪無くして死地に就くを隠(いた)まば、牛と羊と何ぞ択(えら)ばん」
王笑いていわく「是れ誠に何の心ぞや。我其の財を愛みて之に易うるに羊を以ってせるにあらざりしも、宜(うべ)なるかな、百姓の我が愛むと謂(おも)えるとは」
【現代語訳】
王がいわれた。「どうしてそれが分かるのか」
孟先生がこたえられた。「私はご家来の胡齕(ここつ)殿からこんな話を聞きました。王様がいつぞや御殿におられたとき、牛をひいて御殿の下を通る者がいました。王様がそれをご覧になって『その牛はどこへ連れて行くのか』とお尋ねになると、その男は『新しく鐘をつくったので、これからこの牛を殺してその血を鐘に塗る儀式を行うのです』と答えました。王様は『その牛を放してやれ。おどおどして罪も無いのに刑場に連れて行かれるのは見るに忍びない(耐えられない)』とおっしゃられました。男が『それでは鐘に血を塗る儀式はやめにしましょうか』と答えると、『なぜ儀式をやめられようか。牛のかわりに羊にすればよかろう』とおっしゃられたとか。そんな事があったのですか」
王がいわれた。「たしかにあった」
孟先生がいわれた。「そのお心こそ、天下の王者になるのに十分なのです。ところが人民たちは、大(牛のこと)を小(羊のこと)に替えられたので、王様が物惜しみをなさったと申しております。しかし私は王様が殺すに忍びないという慈悲の心からおっしゃられたことを存じております」
王がいわれた。「そうか。そんなことを申す人民もいるのか。斉の国が小さな国だといっても、なんで牛一頭を物惜しみしようか。おどおどして罪も無いのに刑場に連れて行かれるのを見て可哀想にと思ったから、羊にかえさせたのだ」
孟先生がいわれた。「しかし王様、人民が王様が物惜しみをしているというのを不思議に思ってはなりません。小(羊)を大(牛)に替えさせたのですから、彼らには王様のお心が分からなかったのです。もし、おどおどして罪も無いのに刑場に連れて行かれるのを見て可哀想にと思われたのなら、牛と羊に何の違いがありましょうか(どちらも可哀想な事には違いがないではないですか)」
王が苦笑いしながらいわれた。「あのときは本当にどんなつもりだったのかな。私は物惜しみして牛を羊に替えさせたのではないけれども、人民が私が物惜しみしたというのはもっとものことである」
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