孟子 はじめに①
『論語』の述而篇は、「述べて作らず。信じて古(いにしえ)を好む。ひそかに我が老彭に比す」で始まります。白川静は、「孔子がみずから、自己の一生の生き方について述べた」とみました(『孔子伝』)。孔子は自分のことを、祖述者であり創作者ではない、と規定したのです。しかし白川先生は、そこに「創造の秘密」があると言います。「伝統は運動を持つものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである」(『孔子伝』)。
孔子が最初の回帰者であり、運動の「樹立者」であるならば、孟子は次の節目となる回帰者であり、百家争鳴に埋もれかけた儒教に力を吹きこんだ再建者です。後ほど詳しく述べますが、比較的伝統が生き延びていた孔子の時代と異なり、孟子が生きた時代は弱肉強食の戦国時代でした。実力主義と実利主義が幅を利かせていたのです。まさにグローバリズム全盛の現代社会と合い通じるものがあります。その流れに抗するように、仁義を重んじ、民を慈しむ王道政治を唱えたのが孟子です。人の善性を信じ、家族から身近な社会、そして国家へとだんだんに信頼の関係を広げていくことの重要さを説いたのが孟子です。今回、私が孟子を取り上げようと思ったのは、グローバリズムで疲弊し、信頼という社会基盤が危うくなった現代社会にこそ、孟子が求められているのではないか、孟子に「回帰」することが求められているのではないか、と思ったからです。
私事になりますが、大学時代、『孟子』を繰り返し読んだ時期がありました。あまり深く考えることのできなかった私は、『論語』が保守的に思え、『孟子』の方に魅力を感じていました。吉田松陰が故郷の牢獄に入っていたときに、『孟子』の勉強会を行い、その講義録を『講孟箚記』という書に著しました。私はこれも愛読し、その序文にある「講究礱磨(礱は、すりみがくという意味で、磨に同じ)」の熟語から「講礱」というのを、自分で刷った冊子のタイトルにしたくらいです。思えば、二十九年をかけてぐるりと回って戻ってきたのです。ここにも「回帰」があります。
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コメント
若干の解説です。
老ホウと読みます。人名ですが、詳しいことは分かっていません。白川先生は、孔子が「我が」と親愛の意を込めて呼んでいるので、巫祝(ふしゅく)の流れを汲む人物ではないかと推しています。
龍の下に石を書いてロウと読みます。「コウキュウロウマ」から「コウロウ」という冊子名にしたのです。今から考えると、センスのない硬い名前でした。
投稿: ねこまつ | 2009年6月 2日 (火) 11時54分