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2012年6月

公孫丑篇 九章①

徳にあふれる君主に仕えることができ、仁義礼智を具えた友人と付き合うことができれば幸いです。しかしそうでない場合はどのようにしたらよいのでしょうか。孟子は、対照的な例を批評します。

【訓読文】

孟子いわく「伯夷(はくい)は、其の君に非(あら)ざれば事(つか)えず、其の友に非ざれば友とせず、悪人の朝(ちょう)に立たず、悪人と言(ものい)わず。悪人の朝に立ち、悪人と言うは、朝衣朝冠して塗炭に坐するが如(ごと)し。悪をにくむの心を推すに、郷人と立つとき、其の冠、正しかざれば、望望然として之(これ)を去り、将(まさ)に(けが)されんとするが若(ごと)し。是(こ)の故に、諸侯、其の辞命を善くして至る者ありと雖(いえど)も、受けざるなり。受けざるは、是れ亦(また)就(つ)くを屑(いさぎよ)しとせざればなり」。

【現代語訳】

孟先生がいわれた。「伯夷(はくい)は、しかるべき君主でないと仕えず、しかるべき友でなければ交わらず、悪人が仕えている朝廷には仕えず、悪人とは口を利かなかった。悪人の仕える朝廷に仕え、悪人と口を利くのは、朝廷に出仕するときの礼服・礼冠を着て泥や炭のなかに坐るくらいに汚らわしいものだと考えていた。彼の悪を憎む心から推測すると、(彼がもし)同郷の人と一緒に立って並んだとき、その人の冠が正しく付けられていなかったら、(このような人物と並んだ自分の過ちを)深く恥じて、その場を去って、まるで自分が汚されてしまうかのように振舞うであろう。このようであるから、諸侯が礼を厚くして招いても、これを受け付けなかった。受け付けないのは、しかるべき君主でなければ、仕えることは自分の信念に合わないと思うからである」。

伯夷(はくい)については、先の章で述べました。商(殷)から周へ王朝が替わるときに、弟の叔斉(しゅくせい)とともに清廉さを貫いた人です。実際に、どの君主にも仕えず、隠者となり、最後は餓死しています。

「望望(ぼうぼう)然」とは慙愧(ざんき)のさまです。本来であれば、親しみをもって心許し合える仲であろう同郷の人であっても、その人に少しでも乱れたところがあれば、そういう人を友人と思っていた自分を恥じるのです。極端なまでの潔癖さです。

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公孫丑篇 八章

七章の最後で、自省することの大切さが述べられていましたが、八章は、人から学ぶ姿勢、さらには協働することの重要さが説かれます。

【訓読文】

孟子いわく「子路は、人、之(これ)に告ぐるに其(そ)の過ちを以てすれば、則(すなわ)ち喜べり。禹(う)は善言を聞けば、則ち拝せり。大舜(しゅん)は焉(これ)より大なるもの有り。善きことは人と同(とも)にし、己を舎(す)てて人に従い、人より取りて以て善を為すことを楽しめり。耕稼陶漁より、以て帝と為(な)るに至るまで、人より取るに非ざるものなし。諸(これ)を人より取りて以て善を為すは、是(これ)人とともに善を為すものなり。故に、君子は人とともに善を為すより大なるはなし」。

【現代語訳】

孟先生がいわれた。「(孔子の高弟であった)子路は、自分が気付かなかった過ちを人から忠告されると、大いに喜んだ。(夏王朝の始祖である)禹王は、他人から善いことを聞くと、(感謝の意を表して)頭を下げた。帝舜は、この二人よりさらに偉大であった。善いことは人といっしょに行い、(他人に善いことがあれば)自分を捨ててその人のやり方に従い、人の善いところを取り入れて、これを実行することを楽しんでいた。歴山で耕作し、黄河の畔で瓦器を焼き、雷沢で漁業を営んでいたころから、(帝堯に登用され、やがて禅譲されて)天子となってからも、人の善いところを見つけては必ずこれを取り入れていた。他人の善を取り入れてこれを実行するのは、人と一緒に善を実行することと同じである。だから、君子は、人と一緒に善を実行することより偉大なことはないのである」。

舜は、実の父、継母とその連れ子の三人から憎まれ、何度も殺されかけましたが、父への孝を持ち続けた聖人です。舜は若い時にさまざまな仕事をしましたが、その都度、人々に慕われたので、舜のいる所、必ず大きな街ができたといいます。儒学では、帝堯とならぶ伝説上の聖人です。

人の善いところを取り入れる謙虚さ、学ぶ姿勢は大事です。しかし、一緒に善を実行する協働関係になることはもっと重要です。善の実行にみなが参加するような社会が理想だからです。孟子は「他人の善を取り入れてこれを実行するのは、人と一緒に善を実行することと同じである」と言っていますが、取り入れた側の徳が大きくなければ、人々の気持ちは一緒になれません。

吉田松陰も、「自分の小さな知恵や才能をさしはさまず、広い心をもって他人の知恵や才能を採用し、さらに他人の善心を勧め助けて、ともに道を進むべきである」といいます。しかし同時に「人を誘って、道を進もうとする者は極めて少ない」といいます。人を引き込むだけの魅力がないと、人は一緒に進んでくれません。松陰はその魅力があった数少ない人物でした。

これで、「公孫丑篇八章」を終わります。

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公孫丑篇 七章②

この章の主題は仁の実践です。前章で、人は皆生まれつき、仁(・義・礼・智)の萌芽を具えていると言いました。その萌芽を不断の修養によって大きく育んでいかなければなりません。しかし、仁の萌芽を育み、仁を実践することができない立場、職業もあります。矢を作る職人は、人を殺傷する武器を作るのが仕事です。憐れみ悼む心を押し殺さないとできない仕事です。棺桶を作る大工は、死人が出ないと仕事になりません。瀕死の人がいても、素直に助かってほしいとは願えないでしょう。

もちろん、こうした職業の人々が、まったく仁の実践をできないわけではありません。屠殺をする肉屋は、たしかに生き物を殺さないと生計を立てられませんが、憐みの心をなくさずにいることはできます。しかし、殺生をしている以上、心安らかな状態で同情心を保つことはできません。ですから、孔子も孟子も、安心して仁を実践できるところに身を置きなさい、と説きます。実践できない職業に就きながら、実践できないことを嘆くのは知恵者のすることではない、といいます。

孔子や孟子は、君子(教養人)を目指す人や、諸侯・重臣たちを相手にしているので、それで問題ないですし、当然の教えです。しかし、そういう人たちばかりでは、そういう職業ばかりでは、世の中成り立ちません。どうしても仁を実践できない職業があり、それに従事する人がいるのです。そうした人々が救われたいと願うとき、儒学では、仁を実践できる仕事に変わりなさい、というしかありません。その職業にとどまったまま、心の平穏を願うのは合理的ではないとされます。

イエスは、ユダヤ教の戒律を守りたくても守ることができない職業の人々(罪びと)や、金の亡者のように思われて忌み嫌われた取税人たちと食事をしました。律法では救われない彼らも救われる教えをはじめました。「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という親鸞の教えも、世の中の凡夫が救われる道を開くものです。儒学は個人レベルにあっては生き方の教えであり、天下国家レベルにあっては政治の教えですが、救いのための宗教ではありません。

「発(はな)ちて中(あた)らざるも、己に勝てる者を怨みず。諸(これ)を己に反(かえり)み、求(もと)むるのみ」(放った矢が命中しなくても、自分に勝った者を怨んだりしない。当たらなかったことを、自分に立ち返って反省し、どこを直すべきか探し求めるのである)は、君子たる者がとるべき態度です。

『論語』の「八(はちいつ)篇」七章に、「君子は争う所無し。必ずや射か」とあり、孔子も、教養人の競り合いがあるとすれば、射の試合くらいかと言っています。試合中は礼儀を守り、勝敗がついても負けた方が酒を飲むだけです。勝ち負けにこだわるのではなく、自省し精進するのが教養人のとるべき姿勢です。

吉田松陰は、この章からは「仁は、天の尊爵(そんしゃく)なり。人の安宅(あんたく)なり」を取り上げています。

仁の道を失わなかったならば、たとえ一時(いっとき)志を抑えられようと、つまらぬ輩(やから)に侮られようと、道を知る者からは尊敬されるでしょう。道を知る者から尊敬されることこそ、天から与えられた爵位です。どんな豪邸に住んでいても、徳を実践していなければ、人の怒りや怨みを買ってしまいます。人からの怒り・怨みが向けられた家に住んでいても心は安らかになりません。

もし仁を体得すれば、貧富苦楽、どのような境遇になろうとも、安らかで楽しむことができます。真の尊爵、真の安宅は、心から得ようと思えば、仁の実践によってかなうことなのです。

これで、「公孫丑篇七章」を終わります。

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公孫丑篇 七章①

七章は、徳(ここでは仁)と職業の関係、すなわち、仁を実践していくのに、生活の場をどこに置くか、という問題をとりあげます。

【訓読文】

孟子いわく「矢人(しじん)は、豈(あに)、函人(かんじん)より不仁ならんや。矢人は惟(ただ)、人を傷つけざらんことを恐れ、函人は惟(ただ)、人を傷つけんことを恐る。巫(ふ)匠(しょう)も亦(また)然り。故に術(じゅつ)は慎まざるべからざるなり。孔子いわく、『仁なるところに里(お)れば美を為さん。択(えら)んで仁に處(お)らざれば、焉(いずく)んぞ智たるを得ん』と。夫(そ)れ仁は、天の尊爵(そんしゃく)なり。人の安宅(あんたく)なり。之(こ)れを禦(とど)むる莫(な)くして不仁なるは、是(これ)不智なり。不仁・不智・無礼・無義は人の役(えき)なり。人の役にして役(えき)を為すことを恥ずるは、由(なお)、弓人(きゅうじん)にして弓を為(つく)るを恥じ、矢人にして矢を為るを恥ずるがごとし。如(も)し之れを恥ずれば、仁を為すに如(し)くはなし。仁者は射(しゃ)の如(ごと)し。射る者は、己(おのれ)を正しくして後に発(はな)つ。発ちて中(あた)らざるも、己に勝てる者を怨みず。諸(これ)を己に反(かえり)み、求(もと)むるのみ」。

【現代語訳】

孟先生がいわれた。「矢を作る職人は、鎧を作る職人より、不仁であるといえようか(本来、人として変わるところはないはずである)。しかし、矢を作る職人は、作った矢が人を傷つけないと困ると心配し、鎧を作る職人は、作った鎧が人を傷つけては(鎧を着た人を守らないと)困ると心配する。人の病気を治そうとする巫女と、死人の棺桶を作る大工も、これと同じ関係である。それゆえ、人が職業を選ぶときは、よほど慎重にしなければならない。孔子も、『情愛の厚いところに住めば(それを見習って)、美(よ)いことをするようになるだろう。探して、仁風(情愛が厚い)のある土地に住むのでなければ、賢者ではない』といわれた。そもそも仁(をたえず実践していこうとするの)は、天から授かる尊(たかい)爵位であり、人が安らかに住むことのできる家である。そこに住もうとするのを止める者はいないのに、仁を実践せずに不仁であるのは、智者とはいえない。不仁であることは不智であり、(そういう者は)礼も義もわきまえない。こうした不仁・不智・無礼・無義の者は、人の下僕(しもべ)である。人の下僕でありながら、人に使われることを恥じるのは、弓を作る職人が弓を作るのを恥じ、矢を作る職人が矢を作るのを恥じるのと同じである。もしこれを恥ずかしいと思うのなら、仁を実践できるような立場に身を置いて、たえず実践することである。仁を行うのは、弓を射るのと同じである。弓を射る人は、自分の姿勢を正しくして、それから矢を放つ。放った矢が命中しなくても、自分に勝った者を怨んだりしない。当たらなかったことを、自分に立ち返って反省し、どこを直すべきか探し求めるのである」。

孔子の言葉の引用は、『論語』の「里仁篇」の首章です。訓読文、現代語訳とも、加地伸行氏のものを使わせて頂きました。古代の巫女(ふじょ、みこ)は、祈祷によって神や天に働きかける呪術師です。日照りが続いたときに雨乞いをしたりしますが、病人の快癒を祈ったりもします。いずれにせよ、人を助け、人を生かす職業です。白川静氏は、孔子の母も巫女であったといいます。

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公孫丑篇 六章④

四端を大切に育てることの重要性を述べて、六章を結びます。

【訓読文】

「是(こ)の四端有りて、自ら能(あた)わずと謂う者は、自ら賊(そこ)なう者なり。其の君を能わずと謂う者は、其の君を賊なう者なり。凡(およ)そ我に四端有る者、皆拡(おしひろ)めて之(これ)を充(み)たすことを知らば、火の始めて然(も)え、泉の始めて達するがごとくならん。(いやし)くも、能(よ)く之(これ)を充たせば、以て四海を保(やす)んずるに足らんも、くも、之を充たさざれば、以て父母に事(つか)うるにも足らざらん」。

【現代語訳】

「この(仁義礼智の)四つの徳の芽生えを持ちながら、自分には四つの徳を行う能力はないと言う者は、自分で(自分を)否定する者である。主君には四つの徳を行う能力がないと言う者は、その主君を否定する者である。自分に四つの徳の芽生えがある者はみな、これを拡充することができることを自覚したならば、火が燃え始め、泉が流れ始めるように、(はじめは小さくても、やがて拡がって行くように)大いなる徳へと育つだろう。もしかりに、これを育てて大きくしていけば、天下を安らかに治めることができるが、もしかりに、これを育てていかなければ、父母にさえ満足に仕えることはできないであろう」。

「賊」は「そこなう」とも「ころす」とも読めます。『字統』によれば、鼎(かなえ)に刀で刻された重要な誓約を武器で削りとるのが元々の意です。貝塚訳の「殺す」では強すぎ、小林訳の「見くびる」では弱すぎると思い、ここでは「否定する」と訳しました。人間は皆、仁義礼智の芽生えをもっているのですから、これを伸ばして徳を実行すべきです。

しかし、そのためには不断の修養によって、徳の芽を育てなければなりません。しっかり育てれば大きく伸び、やがては古(いにしえ)の聖王のように、徳を以て天下を治めることもできるでしょう。しかし修養を怠ると、伸びてくれません。それどころか放置してしまうとやがて萎んでしまいます。こうなったら、いちばん身近な両親にすら、まともに仕えることはできないのです。徳を実行できる人が少ないのは、修養を続けられる人が少ないからであって、生まれつきの問題ではありません。

ところで、惻隠の心(あわれみいたむ心)は、よちよち歩きの幼児のたとえで、人間が皆、備えていることがよく分かりました。しかし、羞悪の心(悪しきことをはじにくむ心)、辞譲の心(譲り合う心)、是非の心(善し悪しを見分ける心)も、生まれつき持っていると、どうして言えるのでしょうか。それについて吉田松陰は、羞悪の心も、辞譲の心も、是非の心も、みな惻隠の心から出てくるといいます。憐れみ悼む心は、同情心です。同情心があれば、悪しき者が弱き者を苦しめているのを見れば、これを羞じ、悪しきを憎みます。つまり同情心から正義感が出てくるのです。また、人を憐れみ悼む心があれば、おのずと譲り合う礼節が生まれます。さらに、道徳心も生じるでしょう。同情心から、正義感、礼節、道徳心が出てくるから、人はみな、これらを生まれつき持っているといえるのです。

このうち、道徳心(是非の分別)は、その向けられる対象が自分の外だけでなく、自分自身の心にも向けられます。道徳心に照らして正しいと判断すれば、「公孫丑篇」の二章にあった、「千万人といえども、われゆかん」という「大勇」が沸き起こってきます。

さらに二章との関連でいえば、「浩然の気」を養う方法と、「四端」を拡充する方法とは基本的に同じです。不断の修養、これに尽きます。四端が拡充されれば、道義心で養われる「浩然の気」も大きくなり、無限に拡がっていくでしょう。

これで、「公孫丑篇六章」を終わります。

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公孫丑篇 六章③

よちよち歩きの幼児を、何の打算もなく心配し、同情する心が、人間だれしもが持っている本質であることを述べた孟子は、さらに論を進めて、人は四つの徳の端緒を持っていると説きます。

【訓読文】

「是(こ)れに由(よ)りて之(これ)を観れば、惻隠(そくいん)の心無きは人に非(あら)ざるなり。羞悪(しゅうお)の心無きは人に非ざるなり。辞譲(じじょう)の心無きは人に非ざるなり。是非の心無きは人に非ざるなり。惻隠の心は仁の端(はじめ)なり。羞悪の心は義の端なり。辞譲の心は礼の端なり。是非の心は智の端なり。人の是(こ)の四端(したん)有るは、猶(なお)、其の四体有るがごとし」。

【現代語訳】

「このことから考えると、惻隠の心(あわれみいたむ心)がない者は人間ではない。羞悪の心(悪しきことをはじにくむ心)がない者は人間ではない。辞譲の心(譲り合う心)がない者は人間ではない。是非の心(善し悪しを見分ける心)がない者は人間ではない。惻隠の心は仁の芽生えであり、羞悪の心は義の芽生えであり、辞譲の心は礼の芽生えであり、是非の心は智の芽生えである。人間にこの四つ(仁・義・礼・智)の芽生えがあるのは、ちょうど人間の身体に四本の手足があるのと同じで、本来生まれながらに具(そな)わっているものである」。

端(たん)には、端緒という言葉があるように、「糸口」の意味もありますが、仁義礼智を生まれながらに十全にそなえていると考えるには無理があります。ここでは、「芽生え」の意味をとります。仁義礼智の萌芽はあるのです。その、だれしもが持っている芽を、大きな樹へ育てるのが修養です。四端をしっかりとした四つの徳へ導くのが儒学といってもよいでしょう。

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公孫丑篇 六章②

いよいよ「性善論」が説かれます。

【訓読文】

「人皆、人に忍びざるの心有りと謂(い)う所以(ゆえん)のものは、今、人、乍(にわ)かに孺子(じゅし)の将(まさ)に井(せい)に入(い)らんとするを見れば、皆、怵惕(じゅつてき)隠(そくいん)の心有り。交わりを孺子の父母に内(い)れんとする所以にも非(あら)ず、誉(ほま)れを郷党(きょうとう)朋友に要(もと)むる所以にも非ず、其の声(きこえ)を悪(は)じて然(しか)るにも非ざるなり」。

【現代語訳】

「『人は誰もが、(他人の不幸や苦痛を見過ごしにできない)同情心を持っている』という理由はこうである。たとえば、よちよち歩きの幼児が今にも井戸に落ちようとしているのを見かけたら、人は誰でも、おどろき、いたたまれない気持ちになって、思わず井戸へ駆け寄るだろう。それは、この子供の親と親しくなろうとするからでもなく、郷里の友人の間で名誉を得ようとするからでもなく、助けなければ悪いうわさがたってしまうことを気にするからでもない」。

孟子は、とても分かりやすい例で、人が誰でも、人に対する同情心を持っていることを説明します。よちよち歩きの幼児は、まったく無力な存在です。その幼児が井戸に落ちてしまったら、間違いなく死んでしまいます。その場面に遭遇したら、人は誰しも、すぐさま迷うことなく駆け寄るでしょう。そこには何の打算もありません。無力な幼児を自分の力で助けなきゃ、という瞬時の反応です。何の打算もなく、発作的な反応ですから、それは人間が本能として持っている心情に違いありません。

孟子はその論を、人間の本質とは何か、善とは何か、のような形而上学的な問いかけではなく、日常生活の中で経験しうる具体例を挙げ、それに対し、人間はみな共通した反応をするから、人間一般が持つ本質なのである、というように展開します。

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公孫丑篇 六章①

六章は、孟子の「性善論」を述べた章ですが、同時に、儒教の重要な概念である「四端」も登場します。

【訓読文】

孟子いわく「人皆、人に忍びざるの心有り。先王、人に忍びざるの心有りて、斯(すなわ)ち人に忍びざるの政(まつりごと)有りき。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行わば、天下を治むること、之(これ)を掌(たなごころ)の上に運(めぐ)らすがごとくなるべし」。

【現代語訳】

孟先生がいわれた。「人は誰もが、(他人の不幸や苦痛を見過ごしにできない)同情心を持っている。古代の聖王は、この、人に対する同情心を持っていたからこそ、人民に対する同情心あふれる政治(仁政)を行ったのだ。人に対する同情心をもって、人民に対する慈しみ深い政治を行えば、天下を治めることは、掌(てのひら)の上でころがすように、いとも簡単にできるだろう」。

「人に忍びざるの心」とは、他人の不幸や苦痛を見過ごしにできない心であり、慈しみ深い心です。「梁惠王篇」七章の冒頭で、儀式の犠牲(いけにえ)として引かれていく牛に同情した斉国の宣王が「忍びず」といったのを聞いて、その心が天下の王者になる第一歩だと孟子は言いました。そのときも「天下は掌(たなごころ)に運(めぐ)らすべし」と、同じ表現を使っています。

次に孟子は、なぜ「人皆、人に忍びざるの心有り」(人は誰もが、人に対する同情心を持っている)と言えるか、その理由を述べます。

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