公孫丑篇 十一章④
孟子の反論に対し、景丑は、自分は仁義の道という高尚な敬愛の示し方ではなく、礼儀の基本を言っているのだと、改めて責めます。
【訓読文】
景子(けいし)いわく「否、此れの謂(い)いに非ざるなり。礼にいわく『父の召すときは諾(だく)するなく、君の命じて召すときは駕(が)を俟(ま)たず』と。固(もと)より将(まさ)に朝(ちょう)せんとすべきなり。王命を聞きて遂に果たさざりしは、宜(ほと)んど夫(か)の礼と相い似ざるが若(ごと)し」。
いわく「豈(あに)是(こ)れを謂うか。曽子いわく『晋・楚の富は及ぶべからざるなり。彼は其(そ)の富を以てせば、我は吾(わ)が仁を以てせん。彼は其の爵を以てせば、我は吾が義を以てせん。我、何ぞ慊(けん)せんや』と。夫(そ)れ豈不義にして、曽子之(これ)を言わんや。是れ一道(いちどう)あるなり。天下に達尊(たつそん)三あり。爵一、歯(よわい)一、徳一なり。朝廷は爵に如(し)くは莫(な)く、郷党は歯に如くは莫く、世を輔(たす)け民に長たるに徳に如くは莫し。悪(いずく)んぞ、其の一を有して、以て其の二を慢(あなど)ることを得んや」。
【現代語訳】
景氏がいった。「いや、私が言っているのは仁義の道ではありません(もっと基本的な礼儀の話です)。礼の本にも『父が呼んだら、ゆっくりした返事をする間もなく、すぐさまかけつけよ。主君が呼んだら、馬車に馬をつけるのを待たずに、すぐさまかけつけよ』とあります。ですから本来は、先生は参内なさるべきでした。ところが先生は、宣王から『朝廷へ来てほしい』というお召しを受けたのに、結局参内なされなかった。先生のふるまいは、礼の本に書かれていることと、ほとんど合っていないように思われます」。
孟先生がこたえられた。「なんと、そういうことを言われるのですか(私の申し上げたことがまったくお分かりになっていませんね)。曽先生がこうおっしゃっています。『晋国や楚国の富には、私の富は到底及ばない。しかし、もし彼等が富を持っていることを誇るなら、私は仁の徳を持っていることを誇るだろう。彼等がその爵位を誇るなら、私は義の徳を持っていることを誇るだろう。私がどうして彼ら引け目を感じるだろうか』。もしこれが義しく(正しく)ないのであれば、曽先生がおっしゃいますでしょうか。これも、ひとつの正しい道なのです。天下に最も尊いものが三つあります。爵位、年齢、道徳です。朝廷では爵位が第一で、郷里では年齢が第一で、世を救い人民を率いるには道徳が第一です。どうして、そのうちの一つを具えているからといって、他の二つを具えた者を軽んじることができましょうか」。
「礼にいわく」とありますが、まったく同じ表現をしているものは後世に残っていません。『礼記』(「玉藻篇」および「曲礼篇」)や『論語』(「郷党篇」)に近い表現がありますから、何かもとになる典拠があったのかもしれません。「諾」はゆるゆるとした返事で、「はい」とひとこと返事する「唯」と対比されます。
曽子(曽参)は、孔子の高弟で、孟子は曽子の思想系統に連なります。
爵位、年齢、道徳は、それぞれ異なる分野のなかで一番尊いものです。爵位が年齢や道徳の上に立つものではありません。「そのうちの一つを具えているからといって、他の二つを具えた者を軽んじる」の「そのうちの一つ」とは、爵位、つまり王や諸侯が持つ権力のことです。王や諸侯が、世俗の権力を持っているからといって、年長者で徳の優れた者を軽んじてはならない、と説いています。
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