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公孫丑篇 十章①

「梁惠王篇」もそうでしたが、このブログでは、同じ篇は上下通した章番号にしています。「公孫丑篇」は上が九章で、今回の章からは下に入りますが、章番号を改めず十章にします。

「公孫丑篇」下は、孟子が斉(せい)を離れるにいたった経緯が記されていますが、この十章では、斉での話に先立って、孟子の戦争論が述べられます。

【訓読文】

孟子いわく「天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず、三里の城、七里の郭(くるわ)、環(めぐ)らせて之(これ)を攻むるも勝たず。夫(そ)れ環らせて之を攻むるは、必ず天の時を得ること有りしなり。然(しか)れども勝たざる者は、是(こ)れ天の時は地の利に如からざればなり。城高からざるに非(あら)ず、池深からざるに非ず。兵革(へいかく)堅利(けんり)ならざるに非ず、米粟(べいぞく)多からざるに非ざるも、委(す)てて之を去るは、是れ地の利は人の和に如からざればなり」。

【現代語訳】

孟先生がいわれた。「天の時がどんなに良くとも地の利には及ばないし、地の利がどんなに良くとも人の和には及ばない。いま、三里四方の内城と七里四方の外城をもつ(それほど大きくない)城を、ぐるりと囲んで攻めても、陥落させることができない。ぐるりと囲んで攻めているのだから、きっといずれの方角かで天の時を得ていたはずである。しかしながら城を落とせないのは、天の時が地の利に及ばないからである。また、城壁は高く、掘りも深く、武器や甲冑(かっちゅう)は堅固で鋭利で、兵糧の米や粟もたくさんあるにもかかわらず、敗れて、城を棄てて退却するのは、地の利が人の和に及ばないからである」。

「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」もまた、『孟子』から引かれる数多い故事成句のひとつです。孟子の解説も分かりやすいですから、補足は要らないでしょう。古くから戦(いくさ)の際に重要視された、天の時、地の利、人の和のうち、人の和がもっとも大事です。

吉田松陰も、この成句を取り上げています。松陰は、だから「さかさ」に考えるとよいといいます。つまり、人の和が得られたら、その上で城壁や堀を堅固にし、武器を鋭利にし、兵糧を豊かにすればいいのです。松陰はまた、これを人の教育に例えています。忠孝の念を具えてこそ、学問をし、武芸を学んで役に立つのです。忠孝の念がない者に、学問・武芸を学ばせ、武器を与えたならば、かえって害になります。先ずは学ぶ者の心を導こうとする、教育者松陰らしい考えです。

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