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公孫丑篇 十一章①

「梁惠王篇」は七章から十八章まで、その半ばを孟子と宣王との対話に割いています。宣王は大国斉(せい)の君主であり、慈悲の心もあったことから、孟子がもっとも期待した王でした。王と孟子とは、君臣ではありましたが、弟子と師の関係の面もありました。それが、ときに両者の思いの行き違いを生じさせます。

「公孫丑篇」十一章では、そうしたエピソードのひとつが述べられます。

【訓読文】

孟子、将(まさ)に王に朝(ちょう)せんとす。王、人をして来たらしめていわく「寡人、如(ゆ)き就きて見んとせるも、寒疾(かんしつ)あり。以て風(ふう)すべからず。朝すれば、将に朝(ちょう)にて視るべし。識(し)らず、寡人を見ること得しむべきか」。

対(こた)えていわく「不孝にして、疾(やまい)あり。朝(ちょう)に造(いた)るあたわず」。

【現代語訳】

孟先生が、宣王に謁見するため参内しようとしておられたとき、王が使者をよこして、王の言葉を伝えた。「私は、先生の屋敷へ参ってお目にかかるつもりでいたが、あいにく風邪をひいてしまったので、外出して外気にあたることができない。もし先生のほうから朝廷へ来て下されば、病をおしてでもお会いしましょう。(朝廷へ来てもらって)私と会って下さるまいか」。

孟先生が答えていわれた。「残念ながら、私も病気です。朝廷へ参ることはできません」(といって断られた)。

「寡人」は、王や諸侯が自分を指していう人称です。「如」は、金谷訳、小林訳、貝塚訳ともに、「将(まさ)に」と訓読していますが、「至る」の意味をとって、「ゆく」と読みました。「就く」も「行く」、「赴(おもむ)く」の意味です。「寒疾」は風邪のことです。「造る」も「ある場所へいたる」ことです。廟にいたって祝祷するのが初義です(『字統』)。

冒頭にあるように、孟子はもともと参内しようとしていました。ところが王の使者から、「王は風邪なのでそちらへ行けない。こちらへ来てもらえないか」と言われると、急に仮病を使って、参内できないと断ります。

おそらく、王が孟子に尋ねたいことがあるときは、王が孟子の屋敷へ赴くという了解があったのだと思います。しかし、王は孟子に用があったのに、風邪を言い訳にして、孟子を呼びつけました。これが孟子には「不誠実」と映りました。このときは、孟子の方にも王に用があったので参内しようとしていたのですが、王の心をみて、孟子の態度も頑なになったのです。

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