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公孫丑篇 九章③

清廉であった伯夷(はくい)。これとはまったく逆におおらかであった柳下惠(りゅうかけい)。孟子は二人をどのように評価するのでしょうか。

【訓読文】

孟子いわく「伯夷(はくい)は隘(せま)く、柳下惠(りゅうかけい)は恭(つつし)まざるなり。隘(あい)と不恭(ふきょう)とは、君子は由(よ)らざるなり」。

【現代語訳】

孟先生がいわれた。「伯夷(はくい)は心が狭い。柳下惠(りゅうかけい)は慎みが足りない。心が狭いのも、慎みが足りないのも、どちらも(一方に偏っており)、教養人が従うべき態度ではない」。

孟子は、「尽心篇」六一章で、伯夷(はくい)も柳下惠(りゅうかけい)も、「百代にわたって模範とすべき聖人」と言っています。ところがこの章では、二人の態度は両方とも、「君子(教養人)が従うべき態度ではない」と批判しています。これはどういうことでしょうか。

伯夷の清廉さも、柳下惠の寛容さも、常人ではとてもまねのできない域です。つまり、伯夷は清廉さという美徳(仁義礼智のなかでは義)の模範であり、柳下惠は寛容さ(仁義礼智でいえば仁)という美徳の模範です。しかも常人ではとても到達できない域にありますから、聖人なのです。しかし教養人は、いずれに偏ってもいけません。仁義礼智がバランスよく修養されていなければならないのです。これが儒学で言う「中庸」の考え方です。中庸の観点からすれば、二人の態度は模範とすべきではありません。孟子も、孔子と同様に、中庸を大切に考えていたことが分かります。

吉田松陰は、柳下惠の融和の態度が好きであると言っています。どのような人物とも折り合いをつけ、どのような人物にもそれぞれ影響を与える教育ができた松陰は、たしかに、伯夷よりも柳下惠に近いでしょう。ですから、柳下惠(の性格)を主体とし、これを伯夷(の性格)で補うことを心がけています。そして目指すのは、「仕えるべきときは仕え、辞めるべきときは辞める、長く仕えるべきときは長く仕え、速やかに辞めるべきときは速やかに辞める(立ち去る)」(「公孫丑篇」二章)という孔子の態度でした。

これで、「公孫丑篇九章」を終わります。

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