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公孫丑篇 十章②

もっとも大事な「人の和」を得るにはどうしたらいいのでしょうか。

【訓読文】

「故にいわく、『民を域(かぎ)るに、封彊(ほうきょう)の界(さかい)を以てせず、国を固むるに、山谿(さんけい)の険を以てせず、天下を威するに兵革の利を以てせず』と。道を得たる者は助け多く、道を失える者は助け寡(すく)なし。助け寡なしの至りは、親戚も之(これ)に畔(そむ)き、助け多きの至りは、天下も之に順(したが)う。天下の順う所を以て、親戚の畔く所を攻む。故に君子は戦わざる有るも、戦えば必ず勝つ」。

【現代語訳】

「そのため昔から、『人民を国境によって制限してはならない。国を守るのに山や谷が険しいことに恃(たの)んではならない。天下を威圧するのに武器や甲冑(かっちゅう)の鋭利さを用いてはならない』というのである。正しい道にかなった者には、それに味方する人が多く、正しい道にかなっていない者には、味方が少ない。味方が少ない者の極端な場合は、親戚さえも背いてしまうが、味方が多い者の極端な場合は、天下の人々がこれに従う。天下の人々が従う者が、親戚さえも背いてしまう者を攻めるのである(勝敗は決まっている)。だから徳のある君子は戦わない場合がある(多い)が、いざ戦う場合には必ず勝つ」。

「君子は戦わざる有るも」の「有」は「尊」の字が崩れたもの、という説もあり、その場合は「君子は戦わないことを尊ぶが」と訳されます。

「道」とは、人としての正しい道であり、仁義のことです。

天の時、地の利、人の和という戦略論から、仁義による政治を行うことの有効性を説くところは、孟子の議論の上手さです。ここでも、覇道ではなく王道こそが天下取りの近道であるというのが、孟子の謂わんとするところです。

ところで、この章が何故、斉(せい)国を出る経緯を綴った諸章の前に置かれているのでしょうか。おそらく、こういうことではないでしょうか。

孟子は、斉国の宣王に、王道政治を採用してくれるのではないかと期待していました。宣王には、慈悲の心があると見てとったからです。しかし、斉による隣国燕(えん)の占領政策は、仁義の道にはずれ、強き者が弱き者を苦しめるものでした。子が親を慕うように、人民が君主を慕う王道政治とは正反対の統治を行っていました。燕の怨みは、宣王の天下取りを躓かせることになり、それどころか、後に斉を危機的状況へと陥らせるのです。宣王への期待と失望。それが、この章の隠れた主題(編纂者の意図)になっているだと思います。

これで、「公孫丑篇十章」を終わります。

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