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公孫丑篇 十一章⑥

この章では、孟子の価値観と、斉(せい)の君主・家臣との価値観がぶつかります。後者は、斉にとどまらず、戦国時代一般の価値観といえるでしょう。景丑が「内には則(すなわ)ち父子、外には則ち君臣というは、人の大倫なり(家庭内では父子の関係、家庭を出れば君臣の関係が、人が守るべき大きな道徳です)」と言っているのは、その通りです。忠孝は儒教でも重要な道徳です。しかし孟子は、君臣の関係と、具えた徳の優劣とを、同列に考えます。孟子の言葉を使えば、爵(世俗の権力)、歯(長幼の序)、徳(仁義の徳の高さ)を相対化しているのです。むしろ、戦国の世だからこそ、「徳を尊び(仁義の)道を楽しむ」のを極めることが大事で、それができた者のみが大業を成すことができるといいます。

国が統一され、社会が安定しているときであれば、世俗権力による主従関係や長幼の序を重んじることで秩序が保たれるかもしれません。しかし、弱肉強食の戦国にあっては、徳の高い者を師とし、その導きによって仁政を布(し)き、やがて王道によって天下を統(す)べるようになることが、君主にとっても、人民にとっても重要なのです。

孟子は、自分は宣王にとって必要な師であり、普通の臣下は違うと考えています。ですから、王が自分を呼びだすのではなく、王の方から(師である)自分の屋敷へ赴くべきなのです。しかしそうした孟子の態度は、景丑のような宣王の家臣の理解を得られるものではありませんでした。

貝塚茂樹は、孟子の態度は、「何か大人気ない感じがするが、これが戦国時代中期の侠客にも共通する男子の意気であった」と解説しています(講談社学術文庫『孟子』)。「孔子のような穏健で時宜に適した行動をするのとは、たいへん相違している」(同上)ことは、孟子生来の性格が、戦国時代の気風と相まったものでしょう。しかしそれが、宣王との関係が冷え込んでいく原因にもなっているのです。

吉田松陰は、この章からは、「郷党は歯に如くは莫(な)し」と「召さざる所の臣あり」の二句を挙げています。

松陰は、長州藩の人間が、学問の功利を求め、自分の才能に鼻をかける傾向があり、そのため年輩者を敬わない藩風を嘆いています。ですから、爵・歯・徳のうち、長州藩に喫緊に必要なのは、歯(長幼の序)を重んじることだといいます。

また、幕末の国歩艱難のときにあって、「召さざる所の臣」が出てこないのを、もどかしく思っています。藩主に講義する儒学者は何を話しているのだろう、それを聞いている藩主は何を考えているのだろう。そんな松陰の門下から、「召さざる所の臣」が出て、長州藩を苛烈に行動させ、維新へと回天させます。

これで、「公孫丑篇十一章」を終わります。

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