« 公孫丑篇 十二章① | トップページ | 公孫丑篇 十三章① »

公孫丑篇 十二章②

以前、斉(さい)にいたときは、王からの贈り物を受け取らなかったのに、宋や薛(せつ)では贈り物を受け取った孟子に、弟子の陳臻(ちんしん)はその理由を問いました。それに対する孟子の答えです。

【訓読文】

孟子いわく「皆、是(ぜ)なり。宋に在(お)るに当たりては、予(われ)、将(まさ)に遠くに行くあらんとせり。行く者には必ず贐(はなむけ)を以てす。辞(ことば)に『贐餽(おく)る』といえば、予、何為(なんす)れぞ受けざらん。薛(せつ)に在るに当たりては、予、戒心(かいしん)あり。辞に『戒(いましめ)ありと聞けり。故に兵の為に之(これ)を餽る』といえば、予、何為れぞ受けざらん。斉(せい)に於けるが若(ごと)きは、則(すなわ)ち、未だ処することあらざりき。処すること無くして之に餽るは、是(こ)れ、之に貨(まいない)するなり。(いず)くんぞ君子にして貨を以て取るべきもの有らんや」。

【現代語訳】

孟先生が答えられた。「どちらも皆、間違っていない。宋にいたときは、私は、ちょうど遠くへ旅立つ所であった。旅立つ者には必ず餞別を贈るのが礼儀である。『餞別をお贈りします』と言われたならば、どうして受け取らずにいられよう。薛(せつ)にいたときは、私は、身の危険を感じて、用心していた。『警戒されていると聞きました。警護する兵を雇うためにこれをお遣い下さい』と言われたならば、どうして受け取らずにいられよう。ところが、斉にいたときには、私は何も金を必要としていなかった。必要としていない者に金を贈るのは、賄賂である。君子が賄賂を受け取って、その心を不自由にされてなるものか」。

戒心とは用心、警戒心の意味です。薛(せつ)にいたときに、用心をしていたというのは、どういうことでしょうか。薛は斉の南東の邦(くに)で、楚に対する前線拠点になります。田嬰は、宣王の末弟という説と、宣王の父である威王の弟という説がありますが、いずれにせよ、威王のときに薛に封せられたといいますから、孟子が斉にいたとき、つまり宣王の治世には、すでに薛の領主になっています。しかも、一時期、険悪だった宣王と田嬰との仲も、すでに関係が修復していました。したがって、孟子が薛を通る際に身の危険を感じたとすれば、それは斉と薛との争いというより、斉と楚の関係悪化に伴って、薛で戦争の準備が行われたと考えるのが妥当でしょう。「梁惠王篇」二一章で、(とう)の文公が「斉は薛に城を築こうとしています。私は心配でなりません。どうしたらよいのでしょうか」と言っているのも、斉と楚が一触即発の状況であったことを言っているのではないでしょうか。

金品の受領について、孟子の方針は確固たるものでした。正当な必要性があれば受け取る、そうでなければ賄賂とみなして固辞する、極めて明快な方針です。弟子の疑問に答えることで、己の一点の曇りのなさを誇示しています。必要ならば、受け取って当然、というのは、戦国時代の慣習であり、春秋時代には「あつかましい」と思われていたかもしれません。これも、孔子と孟子が生きた時代の違いです。

これで、「公孫丑篇十二章」を終わります。

|

« 公孫丑篇 十二章① | トップページ | 公孫丑篇 十三章① »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 公孫丑篇 十二章②:

« 公孫丑篇 十二章① | トップページ | 公孫丑篇 十三章① »