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公孫丑篇 十三章①

前の十二章は、孟子が斉(せい)を出た後の話でしたが、この十三章では、斉にいた頃に戻ります。

【訓読文】

孟子、平陸に之(ゆ)きしとき、其の大夫に謂(い)いていわく「子(し)の持戟(じげき)の士、一日にして三たび伍(ご)を失わば、則(すなわ)ち之(これ)を去らんか否や」。

いわく「三たびを待たず」。

「然(しか)らば則ち、子(し)の伍を失えるも、亦(また)多し。凶年飢歳(きさい)に、子の民、老羸(ろうるい)は溝壑(こうがく)に転び、壮者(そうしゃ)は散じて四方に之く者幾千人なり」。

いわく「此(こ)れ距心(きょしん)の為すを得る所に非ざるなり」。

いわく「今、人の牛羊を受けて之を牧(か)う者あらば、則ち必ず之が為に牧(まきば)と芻(まぐさ)とを求めん。牧と芻とを求めて得ざれば、則ち諸(こ)れを其の人に反(かえ)かんか。抑(そもそも)、亦、立(い)ながら其の死を視んか」。

いわく「此れ則ち距心の罪なり」。

【現代語訳】

孟先生が、斉(せい)の領内にある平陸という町へ行かれた時、そこの大夫である孔距心(こう・きょしん)に対していわれた。「あなたの配下の護衛の兵士が、一日に三回も隊伍を離れたら、その兵士を罷免しますか」。

孔距心がいった。「三回も待たずに罷免します」。

孟先生がいわれた。「それならば、あなたも隊伍を離れるような、職責を果たしていないことが多くあります。凶作飢饉の年には、あなたの領内でその民は、老人や病人は溝や坑(あな)に転がり落ちて倒れており、若者は散り散りになり、四方へ去っていく者は何千人もいるではありませんか」。

孔距心がいった。「しかし、それはわたくしの為し得ることではありません(いかんともしがたいことです)」。

孟先生がいわれた。「今、人から牛や羊を預かって飼っている者がいるとします。その人は必ず、牛や羊のために、牧場と牧草とを探すでしょう。もし牧場や牧草が見つからないときは、持ち主に返すでしょうか。それとも、黙って立ったまま牛や羊が死んでいくのを見ているでしょうか」。

孔距心がいった。「これは(人民が苦しんでいるのは)、わたくしの責任です」。

平陸は斉国内の町です。孟子の時代より百年前、斉と魯が戦った場所です。孟子は斉に滞在していた時、首都の臨輜(りんし)にいて宣王の相手をしていたばかりではなく、こうして、地方を視察し、状況を宣王へ報告するとともに、施策の助言をおこなっていたのでしょう。

持戟(じげき)の士とは、戟(ほこ)を持った兵士で、護衛兵のことです。護衛兵が隊伍を離れるというのは、任務を放棄することを意味します。任務を放棄した護衛兵を許さないのであれば、領地をよく治めて民の暮らしを守るという任務を果たしていない孔距心も、当然許されません。

牛や羊を返す、というのは、王から封ぜられた領地を返上することの譬えになっています。「自分ではどうすることもできない」という孔距心に、任務を果たせないのであれば、封地を返上しなさい、さもなければ民はますます苦しみますよ、と孟子は言っているのです。孟子の譬えを聞いて、孔距心は、民が苦しんでいるのは自分の責任だ、とはじめて自覚します。

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