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公孫丑篇 十七章②

紀元前三一四年、斉(せい)は、内乱状態にあった燕(えん)に侵攻し、これを一時併合します。宰相であった子之(しし)に王位を禅譲した前の燕王(かい)も、この混乱の中で亡くなります。

【訓読文】

或るひと問いていわく「斉(せい)に勧めて、燕(えん)を伐(う)たしむ。諸(これ)有りしか」と。

いわく「未(いま)だし。沈同(しんどう)燕伐つべきかと問いたれば、吾(われ)之(これ)に応えていえり。彼、然(しか)して之を伐ちしなり。彼、如(も)し孰(たれ)か以て之を伐つべきかといわば、則(すなわ)ち将に之に応えて、天吏たらば則ち以て之を伐つべしといわん。今、人を殺せる者あり。或るひと之を問いて、(この)人殺すべきかといわば、則ち将に之に応えて、可なりといわん。彼、如し孰か以て之を殺すべきかといわば、則ち将に之に応えて、士師たらば則ち以て之を殺すべしといわん。今、燕を以て燕を伐つ。何為(なんす)れぞ之を勧めんや」。

【現代語訳】

ある人が、孟先生に尋ねていった。「先生が、燕(えん)を伐つように斉(せい)に勧めたというのは、本当でしょうか」。

孟先生がいわれた。「そこまでは言っていません。(大夫の)沈同(しんどう)が『燕を伐ってもよいでしょうか』と聞くので、『伐ってもよいでしょう』と答えたのです。そして彼は、燕を伐つように動きました。しかし、もし彼が(続けて)『誰が燕を伐つべきでしょうか』と聞いていたならば、私は『天の使徒(仁政を布く君主、王者)であれば、燕を伐ってもいいでしょう』と答えるつもりでした。今、ここに人を殺した者がいるとします。ある人が、『この殺人者を殺してもよいでしょうか』と聞いたら、『よいでしょう』というでしょう。彼がさらに続けて、『誰が殺すべきでしょうか』と聞いたら、『士師(裁判の長官)であれば、この殺人者を殺してもいいでしょう』と答えるでしょう。今回の討伐(斉による侵攻)は、義(ただ)しくないものが義しくないものを伐つ、つまり燕が燕を伐っているのです。どうして、私がこれを勧めるでしょうか」。

金谷氏は「未(いま)だし」という表現に、孟子の言い逃れの含みがあると述べています。

孟子は、宣王が王道政治を布いてくれるのではないかという期待がありました。燕への侵攻を「よし」としたのは、孟子の「賭け」だったのではないでしょうか。もし燕の民がもろ手を挙げて、斉軍を迎え入れ、宣王に治められることを喜ぶようであれば、王道による天下統一へ一歩近づくことになります。しかし実際には、斉軍は燕で抵坑を受け、併合が失敗に終わったことが分かります。これには、占領政策に関する、孟子の進言が受け入れられなかったという事情(「梁惠王篇」十七章、十八章)もあります。「『天の使徒(仁政を布く君主、王者)であれば、燕を伐ってもいいでしょう』と答えるつもりだった」というのは、孟子の偽らざる気持ちだったと思います。

斉の侵攻の翌年、前の燕王噲(かい)の長子平(へい)が子之(しし)を倒し、斉軍を燕(えん)から撤退させ、王位に就きます。「先ず隗より始めよ」の故事成語で有名な郭隗を用いた昭王です。郭隗の人材募集策は当たり、二十年後、昭王のもとに、天才的な軍略家楽毅(がくき)が来ます。斉は、すでに宣王から湣王(びんおう)に代わっていました。紀元前二八四年、楽毅は、燕とこれに呼応した韓・魏・趙・楚の連合軍を率いて斉を攻め、斉は滅亡寸前となり、湣王も敗死します。孟子が亡くなって数年後のことです。

これで、「公孫丑篇十七章」を終わります。

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