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公孫丑篇 十四章①

十一章で孟子は、自らを「召さざる所の臣」とし、斉の宣王に仕えていても、家臣・大夫とは違うと言いました。この章も孟子の自負にまつわるエピソードが述べられます。

【訓読文】

孟子、蚳鼃(ちあ)に謂(い)いていわく「子(し)の霊丘(れいきゅう)を辞して、士師を請(こ)いしは、似たり。其の以て言うべきが為(ため)ならん。今、既に数月なるも、未だ以て言うべからざるか」。

蚳鼃、王を諌めて用いられず。臣たるを致して去る。

斉人(せいひと)いわく「蚳鼃のためにせる所以(ゆえん)は、則(すなわ)ち善きも、自らためにせる所以は、則ち吾(われ)知らざるなり」。

公都子(こうとし)以て告ぐ。

いわく「吾、之を聞けり。『官守あるものは、其の職を得ざれば則ち去り、言責あるものは、其の言を得ざれば則ち去る』と。我には官守なく、我には言責なかれば、則ち吾が進退、豈(あに)綽(しゃくしゃく)然として余裕あらざらんや」。

【現代語訳】

孟先生が、斉(せい)の大夫である蚳鼃(ちあ)に対していわれた。「あなたが霊丘(れいきゅう、地名)の長官を辞めて、士師を希望したのは、道を行うのに似て、大変りっぱなことでした。(中央の要職に就いて)王様に諫言できるからなのでしょう。しかし、今、就任されてから数ヵ月になりますが、まだお諌めする案件がないのですか」。

(孟子に促されて、)蚳鼃は王様に諫言したが、用いられなかった。そこで職を辞して朝廷を去った。

この話を聞いた斉(せい)の人々はこう噂した。「孟子が蚳鼃のためにしたことはよいことであったが、孟子自身の処し方としてはどうであろうか」。

公都子(こうとし)が、人々の噂を孟先生に告げた。

孟先生がいわれた。「私は聞いている。『官職がある者は、その役職の責任が果たせない場合は辞職し、言責のある者は、その諫言の責任が果たせない場合は辞職すべきである』と。私は斉の家臣や大夫ではないので、役職の責任もなければ諫言の責任もない。私の進退は、ゆったりとしていて、余裕があるのが当たり前ではないか」。

士師は、裁判や監獄を司る長官ですから、司法長官といっていいでしょう。蚳鼃(ちあ)は、霊丘という地方の長官を辞めて、中央の長官になったのですから、王様へ諫言できる立場になったわけです。

公都子は、孟子の弟子のひとりです。「公都」が姓になります。

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