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2012年10月

公孫丑篇 十九章①

孟子は、斉(せい)では自分の理想を実現できないと思ったのか、故郷の鄒(すう)に帰ろうとします。

【訓読文】

孟子、臣たるを致(かえ)して、帰る。

王、就(つ)きて孟子に見(あ)いていわく「前日には、見(あ)わんことを願いて得(う)べからざりしも、同朝に侍(じ)するを得て、甚だ喜べり。今また寡人を棄てて帰らんとす。識(し)らず、以て此れに継ぎて見うを得べきか」。

対(こた)えていわく「敢えて請わざるのみ。固(もと)より願う所なり」。

【現代語訳】

孟先生が、斉(せい)の客卿(かくけい)を辞職して、ご自分の館へ帰ってしまわれた。

宣王は、孟先生の館までお越しになって、こういわれた。「以前は先生とお会いしようとしても、なかなか機会がありませんでした。しかし同じ朝廷でご一緒するようになって、大変喜んでおりました。ところが、今また、私を見捨てて帰国なさろうとしています。いかがでしょう。これからも引き続いて、先生にお会いすることはできますでしょうか」。

孟先生がこたえていわれた。「是非にとお願いしなかっただけで、もとよりそれは私も願っていることです」。

孟子が斉(せい)を去ろうと決めた背景には、宣王との関係が冷え込み、孟子の意見が採用されなくなったことがあります。孟子は、大国である斉の王が王道政治を行うことで、やがて斉による天下統一が成就することに期待をかけていました。しかし、宣王との溝が少しずつ広がり、自分の提言が容れられなければ、斉にいる意味はありません。とりわけ、燕への侵攻と、その占領政策の失敗は、大きく堪えました。孟子に帰国を決意させた直接の原因だったと思われます。

宣王にとっては、高名な儒家である孟子が自国に留まってくれていた方が、他国に対して誇示できたのでしょう。客分の重臣、いいかえれば顧問としての地位を辞して、故郷に帰ろうとする孟子を、なんとか引き留めようとしたのです。

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