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公孫丑篇 二十章②

孟子を斉(せい)に引き留めようと訪ねた人の説得を、横になったまま、聴いているのか聴いていないのか、何も応えないままの孟子。これに腹を立てて、立ち上がった人に向かって、孟子が最後に言ったのは、「貴方の方が私との縁を絶とうとしているのでしょうか、それとも、私の方が貴方との縁を絶とうとしているのでしょうか」という言葉でした。ここは順序を逆にして、「私のこの態度が、貴方との縁を絶とうとしているのではなく、これまでの貴方の、そして宣王の私への対応が、縁を絶とうとしているのです」とする方が分かりやすいかもしれません。

宣王がその人を、孟子の宿舎まで派遣したとしたら、孟子と親しかった人でしょう。その人が自主的に行ったとしたら、なおさらです。さらにいえば、宣王と孟子の関係がだんだん冷えてきたときに、間に立って取り持てる人だったに違いありません。それだけに、孟子からすれば、何故今頃になって、という気持ちでいっぱいだったでしょう。宣王や(孟子を訪ねた)その人が、もっと早く、魯の穆公や賢人たちが子思のことを慮ったのと同じくらいに、孟子のことを大事と思ってくれたら、自分は斉国に留まっていただろうに、というのが孟子の本心です。

たしかに、身を清め、つつしんで説得にあたる相手を前にして、きちんと座りもしないのは、礼に反します。およそ儒者のすることではありません。宣王とその人の誠意の薄さを責めるのに、孟子は非礼をもって表現しました。孔子なら、決してそういう手段はとらなかったでしょう。このことをもって、孟子を傲慢な人と見るか、孟子は心を率直に出す人と見るかは、分かれるところです。

吉田松陰も、この章では、同じく「子、長者を絶つか、長者、子を絶つか」を取り上げています。松陰は、君子の議論は、形式的な善し悪しではなく、心のありようをいう、と述べています。表面ばかりを取り繕うのではなく、自分の内面に仁をしっかり持っていなければ、人は受け容れてくれないと言います。人に誤解されることを恐れず、心を素直に出すのは、松陰の生き方でもありました。松陰の場合は、それで多くの人に愛されたのです。

これで、「公孫丑篇二十章」を終わります。

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