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公孫丑篇 二十章①

宣王は、孟子を引き留めるのに、都の中心に住まわせ、弟子の養成に十分な厚禄を出すという条件を示しましたが、孟子は断りました。ついに孟子は、斉(せい)の都、臨淄を出発します。

【訓読文】

孟子、斉(せい)を去らんとして、昼(ちゅう)に宿す。王の為に行(こう)を留めんと欲する者あり。坐して言えるに、応えずして几(き)に隠(よ)りて臥(ふ)せり。客、悦(よろこ)ばずしていわく「弟子(ていし)、斉宿(さいしゅく)して、而して後(のち)に敢えて言えるも、夫子(ふうし)臥して聴きたまわず。請う、復(また)敢えて見(まみ)ゆること勿(なか)らん」。

いわく「坐せよ。我、明らかに子(し)に語(つ)げん。昔者(むかし)、魯の繆公(ぼくこう)、子思(しし)の側(かたわら)に人なければ、子思を安(やす)んずること能(あた)わず。泄柳(せつりゅう)・申詳(しんしょう)、繆公の側に人なければ、其の身を安んずること能わず。子、長者の為に慮(おもんばか)りて、子思に及ばず。子、長者を絶つか、長者、子を絶つか」。

【現代語訳】

孟先生は、斉(せい)を去ろうとして、都の郊外にある昼(ちゅう)という町に泊られた。斉の宣王のために孟先生が去るのを引き留めようとする人がいた。その人は、きちんと座って、引き留めるために話をしたが、孟先生は何も応えず、脇息(ひじかけ)にもたれて横になったままであった。その人もさすがに立腹して、「私は、身を清めて、かしこみつつしんでから、あえてこのように申し上げたのです。しかし先生は、横になったまま、聴こうとなさらない。(もう我慢なりません)もはや、もう二度とお目にかかることはございますまい」と言って、立ち上がった。

そこで孟先生はいわれた「まぁ、お座りなさい。理由(わけ)をお話ししましょう。昔、魯の穆公(ぼくこう)は、子思(しし)の側に接待の人を付けていなければ、子思を引き留めておけるか心配でなりませんでした。賢者といわれていた、泄柳(せつりゅう)や申詳(しんしょう)も、穆公の側に(子思のような)立派な人物がいなければ、心配でなりませんでした。貴方が、この年寄りのために配慮して下さるのはありがたいが、それは穆公や泄柳・申詳が子思に配慮したことにはとても及びません。ということは、(いまは)貴方の方が私との縁を絶とうとしているのでしょうか、それとも、私の方が貴方との縁を絶とうとしているのでしょうか」。

几(き)は脇息です。斉宿は、ものいみして、一夜を過ごすという意味です。孟子を訪ねた人は、身を清め、一夜を過ごした後に、翌日、孟子に会ったと思われます。

子思(しし)は、孔子の孫で、孟子は、子思の孫弟子にあたります。穆公(ぼくこう)は魯の第三十代の君主で、名君でした。穆公が君主に就いたのは紀元前四一五年、子思は紀元前四〇二年頃亡くなっていますから、子思が穆公の側にいたのは、その晩年だったのでしょう。泄柳(せつりゅう)も申詳(しんしょう)も、魯の賢人です。申詳は、孔子の高弟の子です。長者は、年寄りのこと、ここでは孟子自身を指します。

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