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公孫丑篇 二十一章②

斉(せい)の家臣尹士(いんし)に、千里の遠方から斉に来たのは金目当てだったではないか、とか、斉を去るにあたっても未練たらしかった、などと悪く言われているのを聞いた孟子は、みずからの心の内を述べます。

【訓読文】

いわく「夫(か)の尹士(いんし)、悪(いずく)んぞ予(われ)を知らんや。千里にして王に見(まみ)えしは、是(こ)れ予(わ)が欲する所なるも、遇わざるが故に去るは、豈(あに)予が欲する所ならんや。予、已(や)むを得ざるのみ。予、三宿して昼(ちゅう)を出(い)ずるも、予が心に於いては、猶(なお)以て速やかなりと為す。王、庶幾(こいねが)わくば之(これ)を改めよ。王、如(も)し諸(これ)を改むれば、則(すなわ)ち必ず予を反(かえ)さん。夫れ、昼を出ずるも、王、予を追わざるなり。予、然る後に浩然として帰らんとする志あり。予、然りと雖(いえど)も、豈、王を舎(す)てんや。王、由(なお)用(もっ)て善を為すに足れり。王、如し予を用いなば、則ち豈、徒(ただ)に斉の民安きのみならんや。天下の民挙(ことごと)く安からん。王、庶幾わくば之を改めよ、と。予、日に之を望めり。予、豈是(か)の小丈夫の若(ごと)く然らんや。其の君を諫めて受けられざれば、則ち怒りて、悻悻(こうこう)然として其の面(おもて)に見(あら)わし、去るときは、則ち日の力を窮(きわ)めて、後に宿(しゅく)せんや」と。

尹士、之を聞きていわく「士、誠に小人なり」と。

【現代語訳】

孟先生がいわれた。「あの尹士(いんし)程度の者に、どうして私の心が分かるというのだ。千里の遠方からやってきて宣王にお目にかかったのは、私が望んだことである。一方、王と意見が合わずに去るのは、どうして私の望むところだろうか。やむをえずそうしたのだ。私が昼(ちゅう)に三泊した後に出立したのも、私の気持ちとしては、それでも早すぎると思うくらいであった。『王よ、どうかお考えを改めてください。もし王がお考えを改めたならば、必ず私を呼び返すにちがいない』と思って、昼に留まっていたのである。しかし、私が昼を出立しても、王は私を呼びもどさなかった。私は、ここに至って、広々とすがすがしい気持ちになって、故郷へ帰る決心がついた。それでも私は、どうして王を見捨てられようか。王は、それでもやはり善政を行うことのできる方である。王が、もし私を用いてくだされば、ただ斉(せい)の民が安らかな暮らしができるようになるばかりでなく、天下の民みなが安らかになるのである。私は、『王よ、どうかお考えを改めてください』と、毎日それを願っているのだ。私は、(斉の朝廷の)小物のようなことは決してしない。主君を諫めて、それが受け入れられなければ、すぐに怒りを顔にあらわす。国を去るときも、一日中できるだけ歩いて遠くまで進んでから宿泊する。(そんな薄情なことはしない)」。

尹士は、孟先生のこの話を聞いて、「私は(孟子のことを誤解していました。)本当に小人です」といった。

「公孫丑篇」の二章で、「浩然の気」が取り上げられましたが、ここでいう「浩然として」は、どこまでも広がる雄大な、なんのわだかまりもない、すがすがしい気持、と訳しました。ただ、宣王の斉を離れて帰国の途に就く孟子の心は、天地の間いっぱいに広がるほど一点の曇りもないものだったのでしょうか。悻悻(こうこう)然として、とは怒るさまをいいます。

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