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公孫丑篇 二十二章①

孟子が斉(せい)を去って、故郷の鄒(すう)に向かいます。その道中、孟子が悲痛な表情を浮かべているのを見た弟子の充虞(じゅうぐ)が、孟子の心の内を尋ねます

【訓読文】

孟子斉(せい)を去る。充虞(じゅうぐ)、路(みち)に問いていわく「夫子(ふうし)、豫(たの)しまざるの色(かおいろ)あるが若(ごと)し。前日、虞、諸(これ)を夫子に聞けり。いわく『君子は天を怨みず、人を尤(とが)めず』と」。

いわく「彼も一時(いっとき)なり、此(これ)も一時なり。五百年にして、必ず王者の興るありて、其の間、必ず世に名ある者あり。周より而来(じらい)、七百余歳。其の数を以てすれば則(すなわ)ち過ぎたるも、其の時を以て之を考うれば則ち可なり。夫(そ)れ天は、未だ天下を平治(へいち)することを欲せざるなり。如(も)し天下を平治せんことを欲すれば、今の世に当たりて、我を舎(お)きて其れ誰ぞや。吾、何為(なんす)れぞ、豫しまざることあらんや」。

【現代語訳】

孟先生が、斉(せい)国を去られた。弟子の充虞(じゅうぐ)が、道中で、孟先生に尋ねた。「先生は、浮かぬ顔をしておられるようです。以前、私は先生から、『君子は、決して天を怨んだり、人をとがめたりしないものだ』と聞いたことがあります。(それなのに、どうしてこのように浮かぬ顔をなさっているのですか)。

孟先生がこたえられた。「あの時はあの時、今は今。私はこう考えている。天下は五百年ごとに必ず王者が現れて、そのとき必ず世に名の聞こえる人物が出て、王者を補佐したものである。いま、周王朝が興ってから七百年以上が経った。年数からいえば、すでに二百年も過ぎているが、時勢からいえば、王者が出てくるにはいい時機である。(それなのに王者が現れないのは)天がまだ、天下を平らかに治めることを望んでおられないからであろう。もし天が天下を平らかに治めようと望まれたならば、今の世にあって、私以外に誰が王者の補佐としてふさわしい人物がいるだろうか。そう思えば、私が浮かぬ気分でいるはずはないではないか」。

「天を怨みず、人を尤(とが)めず」は、『論語』の「憲問」三十五章にあります。孔子が「私の価値を知る者がいない」といったときに、弟子の子貢が「どうして先生の価値を知る者がいないといえましょうか」と述べたのに応えて、孔子がいった言葉です。「天が悪いのでもなければ、人が悪いのでもない。私は知識の学習に始まり、道徳の修養にまで至り、最善を尽くしてきた。私のことをもっともよく知っているのは、天であろうぞ」(加地伸行訳)。

斉(せい)で結局用いられなかったからといって、君子である孟子は、天や人を責めることはない、と充虞は思っています。ならばどうして浮かぬ顔をしているのか、と聞いたのです。

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