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滕文公篇 二章①

二章でも、滕の文公はまだ世子(太子)ですが、父君である定公が薨去したときの話です。

【訓読文】

滕(とう)の定公、薨ず。世子(せいし)、然友に謂(い)いていわく「昔者(むかし)、孟子、嘗(かつ)て我と宋にて言えりしこと、心に於いて終(つい)に忘れず。今や、不幸にして、大故に至れり。吾(われ)、子(し)をして、孟子に問わしめ、然る後に事を行わんと欲す。然友、鄒(すう)に之(ゆ)きて、孟子に問う。

【現代語訳】

滕(とう)の定公が薨去された。世子(文公のこと)が、傅役(もりやく)の然友に向かっていわれた。「先年、宋で孟先生にお会いしたが、そのとき孟先生が私にお話しされたことが、いまだに忘れられない。今、不幸にして、父君の大喪となった。そなたに、孟先生のところへ行って、葬儀の礼について聞いてきてもらいたい。その上で、大喪の儀を行いたいのだ」。そこで然友は、鄒へ赴き、孟先生にお尋ねした。

ここで、事が起きた前後関係を整理しましょう。

孟子と文公が初めて会った(「公孫丑篇」十五章)のは、孟子が斉(せい)の正使として滕を弔問したときですから、孟子が斉を去る紀元前三一二年より前になります。「公孫丑篇」が時の前後に従って書かれているという前提ならば、孟子が母の葬儀で魯に一時帰る(「公孫丑篇」十六章)前ですから、さらにさかのぼって紀元前三一五年より前になります。次に、文公は、楚への往路・帰路で、宋にいた孟子と話をしています(「滕文公篇」一章)が、これが紀元前三一一年です。そして、故郷の鄒に戻っていた孟子を、文公の傅役(もりやく)である然友が訪ねるのが、紀元前三〇七年(か三〇八年)です。したがって、本章で文公が「先年、宋で孟先生にお会いした」というのは、三、四年前の孟子との語らいのことをいいます。

傅役には、君主が、世子のために自分の家臣のなかから信頼できるものを選びます。ですから、然友は、まだ世子であった文公がにとって、先君の家臣なのです。然友のことを「子(そなた)」と呼ぶのは、そのためです。

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