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滕文公篇 三章②

恒産ある者は恒心あり、恒産なき者は恒心なし。ではどうすれば人々の経済生活を安定させることができるのでしょうか。孟子は、税制のあり方を取り上げます。

【訓読文】

「是(こ)の故に賢君は、必ず恭倹して下を礼し、民より取るに制(かぎり)あり。陽虎(ようこ)いわく『富を為さんとすれば仁ならず、仁を為さんとすれば富まず』と。夏后(かこう)氏は五十にして貢(こう)し、殷人(いんひと)は七十にして助(じょ)し、周人(しゅうひと)は百畝にして徹(てつ)す。其の実は、皆、什(じゅう)に一(の税)なり。徹は徹なり、助は藉(しゃ)なり」。

【現代語訳】

「ですから、賢君といわれる人は、恭しく倹(つづま)やかで、下の者にも礼儀正しく、人民から取り立てる税にも制限がありました。(魯の家臣であった)陽虎は『富を蓄えようとすれば仁者になることができず、仁者になろうとすれば富むことができない』といいました。さて、夏王朝では、成人ひとりに五十畝を与えて貢(こう)という税制を、殷王朝では、成人ひとりに七〇畝を与えて助(じょ)という税制を、周王朝では成人ひとりに百畝を与えて徹(こう)という税制を、それぞれ実施しました。各王朝によって制度の名前は違っておりますが、その中身は同じく十分の一税です。徹とは、年貢を徹、すなわち取るという意味です。助とは、藉(しゃ)、すなわち借りるという意味です」。

陽虎(または陽貨)は、孔子と同時代の魯の政治家です。はじめは魯の実権を握っていた公族に仕えていましたが、やがて反旗を翻し、魯の実権を握ります。このとき孔子を政権に招きますが、実現しませんでした。その後、公族の巻き返しに遭い、魯を追放されました。

一畝は約一・八二アールですから、五〇畝で約〇・九ヘクタール、七〇畝で約一・三ヘクタール、百畝は約一・八ヘクタールの面積です。助が「借りる」という意味だといったのは、井田(せいでん)制では、耕作地を三×三の九区画に等分し、真ん中の公田を除く八区画を私田として民に支給し、公田は民の労力を借りて耕すからです。

重税は、民を経済的に疲弊させ、飢饉のときには餓死したり、生き残ったとしても与えられた田畑を棄て、流民化したりする事態を招いてしまいます。そこで、夏・殷(商)・周王朝では、「十分の一」の税率を制度にしていた、と孟子はいいます。

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